4.漢訳で伝わる初期のAvadaana集成

 avadaanamaalaa類が作られる以前の、インドで編集されたavadaanaの集成を、「初期のavadaana集成」として定義するならば、初期のavadaana集成にあたる作品は、梵本としてはAvadaana%satakaとDivyaavadaanaの両作品が、またチベット大蔵経ではAvadaana%satakaとKarma%satakaが伝わっているだけであるが、次にあげるように、漢訳大蔵経において は、2〜4世紀に成立したと思われる古い説話集成がたくさん伝わっており、初期のavadaana集成を考察する上で欠かせない資料となっている。これらの漢訳の諸作品は、干潟龍祥(1978)によって<註1>総合的に研究された。

 漢訳大蔵経で伝えられた説話集成には以下のものがある<註2>:

 大正 152. 六度集経(8巻)       呉 康僧会 訳

 大正 153. 菩薩本縁経(3巻)      呉 支謙 訳

 大正 154. 生経(5巻)         西晋 竺法護 訳

 大正 155. 仏説菩薩本行経(3巻)    失 訳

 大正 160. 菩薩本生鬘論(16巻)     宋 紹徳慧詢等 訳

 大正 194. 僧伽羅刹所集経(3巻)    僧伽羅刹 撰;符秦 僧伽跋澄等 訳

 大正 197. 仏説興起行経(2巻)     後漢 康孟詳 訳

 大正 199. 仏五百弟子自説本起経(1巻) 西晋 竺法護 訳

 大正 200. 撰集百縁経(10巻)      呉 支謙 訳

 大正 201. 大荘厳論(15巻)       後秦 鳩摩羅什 訳

 大正 202. 賢愚経(13巻)        元魏 慧学等 訳

 大正 203. 雑宝蔵経(10巻)       元魏 吉迦夜共曇曜 訳

 大正 204. 雑譬喩経(1巻)       後漢 支婁迦せん 訳

 大正 205. 雑譬喩経(2巻)       失 訳

 大正 206. 旧雑譬喩経(2巻)      呉 康僧会 訳

 大正 207. 雑譬喩経(1巻)       道略 集

 大正 208. 衆経撰雑譬喩(2巻)     道略 集;姚秦 鳩摩羅什 訳

 大正 209. 百喩経(4巻)        僧伽斯那 撰;蕭斉 求那毘地 訳

 このなかで撰集百縁経は、Avadaana%satakaの訳であり、菩薩本生鬘論はAarya%suuraのJaatakamaalaaの偽訳、大荘厳論はD#r#s#taantapa+nktiの訳である。また最近、菩薩本縁経にはそれにあたる梵本の断片が報告されている(第4章、§2、Aの節を参照)。梵本が存在するのはそれら4本だけであり、他の作品については梵本はおろかチベット訳すら存在しないものがほとんどである。例外的に、賢愚経は、チベット訳(Mdsa+ns blun, Toh 341, Ota 1008, N(K) 326, C 980)とモンゴル訳(%Uliger-%un dalai)が伝わっているが、チベット訳は漢訳から重訳されたものであり、 モンゴル訳はチベット訳から再重訳されたものらしい。

 賢愚経について、説明を補うと、この作品はもともと漢訳者の編集によって作られた作品であり、元になった一つの梵語の原典があったと思われない。僧祐が著わした「賢愚経記」(『出三蔵記集』巻九)によれば、河西の沙門、釈曇学・威徳など八人の僧が志を合わせて、西域へと経典を求めて旅をしたが、ホータン(于てん)の地でたまたま、五年に一度開かれる、三蔵に通じた諸学がそれぞれ仏法を教授する大法会(pa%ncavaar#sika)に 巡り合わせたので、めいめいが思い思いの法会に出て、胡語で聴聞したところを漢語に訳して書き留めておき、後にカラ・ホージョ(高昌)に戻った時にそれを集めて一部とした。その後、この経は中国に運ばれて、元嘉22年(西暦445年)に釈慧朗などの僧によって 新たに編集がなされ、賢愚経と改名された。その時編集に参加していた釈弘宗から、僧祐は以上の経緯を直接聞いたのであった。漢訳は現在、大別して2系統の伝本を区別でき、高麗版では62話から成り、元・明の版では69話から成る。流布の過程でいくつかの異本が生まれたらしい。漢訳の或る異本に基づいたらしいチベット訳は、デルゲ・ナルタン・北京・チョネ・ラサ版本では51話から成るが、ロンドン大学アジア・アフリカ研究所蔵本と大英博物館蔵写本カンジュル残欠本では52話を有する。モンゴル訳は52話である。賢愚経のチベット訳 Mdsa+ns blunはI. J. Schmidt(1843)によって<註3>校訂され、独訳も付けられて出版された。このテキストに対して、A. Schiefner(1852)は<註4>重要な補遺訂正を行った。高橋盛孝(1970)は<註5>、チベット訳と漢訳書き下し文の対訳本を作った。この出版は、チベット訳の底本にSchmidt本を使い、ロンドン大学蔵本と北京版の異読を報告し 、チベット文と漢訳が一致しない場合は、漢訳(鉄眼本)の書き下し文の代わりに、口語の和訳を付けたものである。モンゴル訳はS. Frye(1981)によって<註6>、英訳された。

註 

1) 干潟龍祥(1978):『改訂増補 本生経類の思想史的研究』、山喜房仏書林。

2) このうち六度集経、旧雑譬喩経、道略の雑譬喩経、衆経撰雑譬喩、百喩経、雑宝蔵経の全部、ならびに生経の一部は、+E.Chavannesによって仏訳がなされた: +E. Chavannes: Cinq cents contes et apologues, extraits du Tripi#taka chinois, Tom I〜IV, Paris, 1910-35.[再版:Paris, 1962] また入矢義高編の『仏教文学集』(中国古典文学大系60、平凡社、1975年)には、古田和弘による雑宝蔵経、百喩経、賢愚経の部分訳が収められている。

3) Isaak Jakob Schmidt(1845): #Hdsa+ns blun, oder der Weise und der Thor, 2 Bde., St. Petersburg-Leipzig.[独訳の巻だけの再出版:I. J. Schmidt: Der Weise und der Thor. Buddhistische Legenden, M%uller&Kiepenheuer, Hanau, 1978]

4) Anton Schiefner(1852): Erg%anzungen und Berichtigungen zu Schmidt's Ausgabe des Dsanglun, St. Petersburg.

5) 高橋盛孝(1970):『蔵漢対訳 賢愚経』、関西大学東西学術研究所研究叢刊3、関西大学東西学術研究所。

6) Stanley Frye(1981): The Sutra of the Wise and the Foolish (mdo bdzans blun) or, The Ocean of the Narratives (%uliger-%un dalai), translated from the Mongolian, Delhi.

 なお賢愚経の研究には次のものがある: Ph.-+Ed.Foucaux: Le Sage et le fou. Extrait du Kanjur, revu sur l'+ed. priginale et accompagn+e d'un glossaire, Paris, 1842.; L. Feer: Le Bodhisattva et la famille de tigres, Journal Asiatique, Sept.-Oct.1899, pp.272-303.; Junjir$o Takakusu: Tales of the Wise Man and the Fool, in Tibetan and Chinese, Journal of the Royal Asiatic Society, XXXIII (1901), pp.447-460.; S.L+evi: Le Suutra du Sage et du Fou dans la litt+erature de l'Asie Centrale, Journal Asiatique, T.CCVII(1925), pp.305-322.; H.W.Bailey: Kaa%ncanasaara, B. C. Law Volume, Part II, Poona, 1946, pp.11-13.; W. Baruch: Le Cinquante-deuxi#eme chapitre du mJa+ns-blun (Suutra du sage et du fou), Journal Asiatique, 1955, pp.339-366.; M. Hahn: Das Datum des Haribha#t#ta, in: K. Bruhn und A. Wezler hg., Studium zum Jainismus und Buddhismus, <Alt- und Neuindische Studien 23>, Wiesbaden, 1981, S.107-120.; M. Hahn: Lehrbuch der klassischen tibetischen Schriftsprache, 5. verbesserte Auflage, <Indica et Tibetica, Bd.10>, Bonn, 1985. S.131.ff.; 松本文三郎:燉煌本大雲経と賢愚経、『藝文』3巻4・5号、1912年。; 福井利吉郎:東大寺本賢愚経の研究、『藝文』3巻11・12号、1912年。; 佐田聲苗:蔵訳賢愚経に対するナルタン版目録の記載、『想苑』4巻4号、1932年。; 高橋盛孝:賢愚経探査記、『日本西蔵学会会報』第9号、1962年、1-2頁。; 高橋盛孝:賢愚経 とザン・ルン、『東方学』第26輯、1963年、1-9頁。; 玉木弁立:漢訳『賢愚経』と 『Mdsa+ns-blun』の成立について、『大正大大学院論集』4、1980年。; 金岡秀友:賢愚経の密教、『仏教の歴史と文化』、仏教史学会編、1980年、51-67頁。; 村上真完: 『西域の仏教 −ベゼクリク誓願画考−』、第三文明社、1984年。 

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