この、インターネットで公開する文面は、雑誌に発表した文面と完全に一致しています。誤記や誤植があったとしても、その誤りも歴史の一部ですから、誤りのままここで再現することにしました。

雑誌におけるページづけを示すために【 】の記号を使いました。例えば、【15】は、この記号より以下の文面が該当雑誌の中で、第15頁にあることを意味します。次に【16】の記号が現れるまでの文面全部が、第15頁です。 また、【一】とあるのは縦書きの論文の第1ページであり、【1】とあるのは横書きの論文の第1ページを意味します。

 

サンスクリットの特殊文字は次のように変換しました:

長音のaはaa, 長音のiはii、長音のuはuu。母音のr は#r、母音のlは#lです。

子音は:

k, kh, g, gh, +n

c, ch, j, jh, %n

#t, #th, #d, #dh, #n

t, th, d, dh, n

p, ph, b, bh, m

y, r, l, v

%s, #s, s

h

Visargaのhは#h、Anusvaaraのmは#mです。

次に、ヨーロッパ語の表記について:

ウムラートの付くa, i, u, e, oはそれぞれ%a, %i, %u, %e, %oとしました。

アクサン・テギュの付くe は+eとしました。

アクサン・シルコンフレックス(^)の付くa, i, u, e, oは$a, $i, $u, $e, $oとしました。

アクサン・グラーヴ(`)の付くa, e, u は#a, #e, #uとしました。

セディーユのついたcは、サンスクリットの口蓋音のsの代用として用いられるため、%sと表記しました。 


著者:岡野潔

論文題名:「仏陀の永劫回帰信仰」

発表雑誌:『 印度学宗教学会 論集』、第17号(平成2年)pp. 1-17.


【一】

            仏陀の永劫回帰信仰                                                岡野 潔

 ここで、私が仮に、「仏陀の永劫回帰信仰」と呼ぶのは、あるいは「仏伝の永遠反復説」と呼んでもよいが、同一の仏陀の生が(従って仏伝が)、永遠に同じ様に繰り返されるという信仰を指す。

 そのような考え・信仰が、古代インドにおいて、根本分裂以前の教団から分裂後の大衆部系統の部派を経て、初期の大乗徒にまで、仏教の内部で一筋の流れとして、受け継がれていったものと私は考える。
 そもそもインド人においては、時間観念は円環的であるといわれる。それもヒンドゥー教の世界観を見ると、二種類の円環があるように思われる。個人の輪廻という円環と、ブラフマー神による世界の周期的再現という円環である。前者の円環は反復されない。後者の円環は反復される。前者の円環は実は時間の円環ではなく、単に生と死の繰り返しにすぎない。後者の円環、宇宙論的な円環こそ、本当に永劫回帰する時間の円環というべきである。ハインリッヒ・ツインマーが指摘したように<註1>、プラーナが示す宇宙開闢の神話やそれに続く神々の出来事は、カルパごとに、繰り返し繰り返し起こると見られる。
 神々が位置する宇宙的な時間は、宇宙の大循環ごとに、つまりあらゆるカルパごとに、まったく同一に回帰する。それに従って乳海撹拌などの聖なる神々の世界の出来事も、永遠に反復され、回帰する。ところが、俗なる【二】輪廻の世界の出来事、われわれの生死の時間は、一回性のもので、回帰しない。つまり、聖なる時間に属する出来事は回帰するが、俗なる時間に属する出来事は回帰しないという構造をもっているわけである。
 仏教においては、最高神によって反復される宇宙開闢神話を認めていないが、その代わりに、周期的に地上において反復される、仏陀の同一の顕現という信仰が存在するのである。これが今から考察する「仏伝の永遠反復の信仰」である。このため、仏教の側における仏伝の永遠反復の信仰と、ヒンドゥー教の側におけるブラフマー神による宇宙開闢神話とは、じつは神話的思考においては、よく似た平行関係にあるわけである。両者とも、聖なる時間に属することであるために、永遠に同一の反復と見做されている。
 仏伝の降誕は、ヒンドゥー教における宇宙の再=創造にあたる、と考えるのは、みかけよりも、おかしなことではない。仏陀の降誕は、カルパの小円環の描く曲線の頂点で、住劫において起こる。そこで、時間の流れの中で自己を見失った衆生は、時間の外にある別の次元の存在(仏陀)の侵入を経験する。世界の意味を見失った衆生たちに、宇宙の存在論的な企図が明らかにされる。仏陀の生が反復されるごとに、宇宙の至上の存在理由が確認されるわけであり、このため仏陀の降誕は、姿を変えた一種の宇宙の 再=創造神話とみることもできなくはない。
 序論が長くなったが、それでは次に、仏伝の永遠回帰という信仰が実際に存在したと推定される典拠をあげよう。

【三】

     仏伝の永遠回帰信仰の典拠(一) 大本経

 仏伝の永遠反復説の最も古い典拠となりうるのが、長阿含(長部)の中の『大本経』( Mahaapadaanasuttanta (DN.14), Mahaavadaanasuutra) である。この経は、大衆部と上座部が部派分裂する前に、すでに成立していたと見られる。 

 この経は、過去仏であるヴィパッシン仏の仏伝を中心に述べた経である。この経で述べられるヴィパッシン仏の仏伝は、固有名詞が入れ替わるだけで、釈迦の仏伝と、入胎より梵天勧請に至るまでがほとんど同一である。ここに仏伝の永遠反復説の表れを見ることができる。オットー・フランケは、ヴィパッシン仏の仏伝が釈迦の仏伝と同じであることを理解しようとして、仏陀の「理想型」たるヴィパッシン仏の仏伝から、釈迦の仏伝が出来たのではないかと推定したが<註2>、しかしヴィパッシン仏の仏伝が出来る長阿含の成立期まで、釈迦の仏伝が暗に形成されていなかったはずはないから、釈迦の仏伝がヴィパッシン仏の仏伝に応用されたと考えたほうがよい。だが仮にフランケのように、仏陀の「理想型」たるヴィパッシン仏の仏伝が初めに出来て、釈迦を含むすべての仏陀に応用されたと考えたとしても、やはり仏伝の永遠反復の思想が根底にあることに変わりはない。
 この経の始めと終わりには、釈迦を含む七仏の名があげられ、その七仏のそれぞれについて、出生するカルパ・生まれ・性・寿命・菩提樹の名・二大弟子の名・弟子の数・侍者比丘の名・父母の名と都城の名を、まるで表の項目を埋めてゆくような述べ方で説明する。ここにも、仏伝の永遠反復説の反映を見ることができる。なぜならあらゆる仏陀に共通な、ある不変の項目表というものを前提にして、その項目表に入る項目として、可変の固有【四】名詞を挙げているのがわかるからである。いわば項目の内容を置換してゆくだけで、別の仏陀になるかのようである。
 また、始めのヴィパッシン仏の伝記だけが詳しく述べられた後、残りの過去仏の伝記は、先の項目表だけですまされている。この残りの仏の伝記の省略の意味を考えるならば、上に述べたように、始めのヴィパッシン仏の伝記が釈迦仏の伝記と全く同じであることから、「残りの五人の過去仏と釈迦仏の伝記は(固有名詞が入れ替わるだけで)ヴィパッシン仏とまったく同じ伝記である」という暗黙の了解が、経の形成の前提になっていると十分予想することができる。
 この経のヴィパッシン仏の入胎から誕生までの部分では、ひとつひとつの出来事にたいし「これはこの場合の法性(dharmataa)である」という文が繰り返し述べられている。つまり、ヴィパッシン仏に起こった出来事は、あらゆる仏に共通で必然の、「法性」に従ったものであることを強調している。経のこの部分は最も古く成立していた部分であるが、その主張を延長していった結果として、ヴィパッシン仏の伝記部分の成立においてはまさしく釈迦仏の伝記と同じものとして描写されるに至ったものと理解できる。なぜなら、あらゆる仏陀の伝記は、法性 (dharmataa) のテキストに忠実に従ったものとして、あらゆる恣意的な行為・出来事は存在しなくなるからである。これは仏伝の永遠反復説に十分な論的根拠を与えるものである<註3>。

     仏伝の永遠回帰信仰の典拠(二) マハーヴァストゥ

 仏伝の永遠反復説について、二番目に確実な実例を提供するのが、大衆部・説出世部の仏伝マハーヴァストゥ【五】(西暦二世紀頃成立)である。
 このマハーヴァストゥでは、釈迦仏の仏伝の前に、過去仏であるディーパンカラ仏の仏伝が詳しく述べられているのであるが、このディーパンカラ仏の仏伝と、釈迦仏の仏伝は、全く永遠反復の関係にある。
 マハーヴァストゥのスナール校訂本 で示すと、第1巻197頁10行〜227頁3行のディーパンカラ仏の入胎から三十二相の占相までの仏伝の記述は、第2巻1頁1行〜30頁6行の釈迦仏の仏伝の記述と、 固有名詞が故意に入れ替えられているのを除けば、完全に同一のテキストである。同一のテキストが、延々30ページにわたって再び繰り返されているのである。
 過去仏の仏伝と釈迦仏の仏伝が、固有名詞のみを替えただけで、同一のテキストとして繰り返されているのは、編纂者の怠惰や手抜きと見做してすまされる問題ではない。
 マハーヴァストゥの編纂者は、明らかにディーパンカラ仏の仏伝を、釈迦仏の仏伝と、まったく同一であってかまわない、否そうでなくてはならないと判断していたのであろう。大衆部・説出世部の人々は、今から無量無数劫の昔に出現したというこの過去仏の誕生のさまを、釈迦仏の誕生のさまと、全く重なりあう出来事として考えていたのである。この永遠反復は、大衆部の人々が、上座部の人々のように仏陀を歴史的な存在と見ず、仏陀をほんらい衆生の世界には属しない、超絶的な存在と見ていたことと関係があろう。

     仏伝の永遠回帰信仰の典拠(三) ラリタヴィスタラ

 仏伝の永遠反復説はまず大乗の仏伝経典ラリタヴィスタラ(西暦150年頃成立)に見ることができる。【六】
 この経典は釈迦の仏伝が内容として説く。ラリタヴィスタラという経の定義は、レフマン刊本の4頁17行〜5頁3行でなされるが、仏伝の諸相を示すのがこのラリタヴィスタラという経典であることが明らかにされる。ところが、さらに定義をつづけて、奇妙にも、この経は「過去の如来によっても、先に説かれたものである (puurvakair api tathaagatair bhaa#sita-puurva#h)」と述べる。つまり、この仏伝経は過去仏によっても繰り返し語られて来たわけである。そして念を押すかのように、わざわざ56人もの過去仏の名前を挙げた後、それら過去の「如来・ 応供・正等覚によって、先に語られたものを、いま世尊も、宣説なされよ (tathaagatena arhataa samyaksa#mbuddhena bhaa#sita-puurvas, ta#m bhagavaan apy etarhi sa#mprakaa%sayet)」という浄居天の勧請の言葉によって、初めてラリタヴィスタラという釈迦仏の仏伝が開始されるのである。
 ここで意味されているラリタヴィスタラという仏伝は、あらゆる過去仏に説かれてきたという点からみて、釈迦仏だけの個人的な伝記を意味しているとは考えられない。むしろ、ある普遍的な仏伝、あらゆる過去仏において常に反復されてきた仏陀の生を意味していると考えられる。このラリタヴィスタラという法門は、すべての如来に共通な伝記と見做されているからこそ、すべての過去仏によって繰り返し説かれてきたと主張されるのであろう。ここに、永遠に反復される仏伝という思想が、表明されているといえよう。
 また、ラリタヴィスタラという経名を考えてみると、「遊戯の詳細」という意味であるが、その「遊戯」とは無限に反復される仏陀の生をさすのではないか。遊戯とはそもそも繰り返しによって成り立つものである。一度限りの生を遊戯とはいわないであろう。そしてこの遊戯という表現は、ヒンドゥー教において、長大な周期で果てしなく同一に生滅を繰り返す宇宙の運動を、最高神の遊戯(リーラー)であると見做したことを、連想させる。【七】

 さて、以上に述べた三つの典拠となる資料で、まずマハーヴァストゥは大衆部に属する文献である。またラリタヴィスタラも、大衆部の仏陀観と極めて結びつきの強い大乗経典である<註4>。さらに『大本経』は、大衆部が分派する前の時代に成立し、すべての部派が共有していた文献であるが、阿含の中でも最も成立が新しい長阿含に属しており、この経が成立した時代にはすでに、同一の教団の内に、のちの大衆部的な考え方をする者と、のちの上座部のような考え方をする者とが、交じり合っていたと思われるのであるが、この『大本経』には、進んた仏陀観をもつ、のちの大衆部的な考え方に近い人々の信仰が、よく反映している。ここには、過去の仏陀たちを「連続」としてよりも、「反復」として見る考え方が出て来ている。
 フランケが指摘したように、長阿含にはあちこちに、仏陀の生に法則性を見、仏陀を歴史的仏陀とは切り離して、理想型の仏陀というものを釈迦仏をとおして見ようとする傾向がはっきりと出てくる。この傾向は、出世間なる仏陀、法の世界から降りてくる仏陀という大衆部的な仏陀観にゆきつかざるをえない。長阿含の成立の時代に、後に大衆部系の仏陀観として長老たちと袂を分かつに至る仏陀観が、民衆の間に生まれていったものと思われる。この長阿含の背後に感じられる仏陀観は、やがてマハーヴァストゥが属する大衆部の仏陀観に継承され、さらに大乗経典ラリタヴィスタラに見られる仏陀観へと、一筋の流れとして継承されていったと思われる<註5>。
 しかしこの大衆部系の仏陀観は単に異端の説として片付けるわけにはいかない。仏教の底流として、この仏陀観は常に上座部の仏陀観を脅かしてした。上座部においては、教団側の理念と、現実の信仰上の趨勢の間には、大きなギャップがあったと考えられる。教団側の理念というのは、宗教の表層部にすぎず、あくまで理論化・合理【七】化された立場を表明するものにすぎないが、一方、現実の信仰の趨勢というのは、宗教の基層部から生まれ、民衆の集合的無意識に根ざしている。インド人の思惟方法として、普遍の重視、特殊の無視、静止的性格、時間観念の欠如などの傾向を見るとき、大衆部的な進んだ仏陀観の出現は、インド人の民族性により深く根付いた、必然的な帰結であったと理解される。仏教の流れは教理の水面下で大きく民衆的な方向に進んでゆき、仏陀の永劫回帰の信仰は仏教の底流として、出家者の教理を脅かしつつ、教団の下で流れていたと考えられる。
 仏伝の永遠反復説は、どんな時代においても、理知的な立場からは疎んじられ、学的な主張とはなりえなかったであろう。それは非論理的であるゆえに、出家の論師たちには承認されることなく、民衆的な信仰に留まり続けたと考えられる。それが、仏伝の永遠反復説が、神話思考の強い「経(スートラ)」に見られるだけで、論書には見られない理由であると思われる。
 仏伝の永遠反復説が、もし意識化されて哲学的な主張となりえていたとしたら、それは大衆部においてであったろう。大衆部の論書がほとんど失われた今、この説が現われていたかどうか確かめるすべはない。しかし仏伝の永遠反復信仰は、発達する仏陀観の延長として、その出現は当然の帰結であった。仏をdharmataa(法性)の現われとして見て、個々の仏よりも、法性を優先させる時、個々の仏陀は法性に従った反復となる。さらに、法性の観念が人格化されて法身の思想になる時、個々の仏陀は法身の無数の(反復的な)顕現にすぎないことになる。
 仏伝の永遠反復説が、教理を体系化させる論師たちによって無視されたのは、それが仏教の他の宗教的ドグマと相容れないものであったからである。つまり、個々の仏陀は個々の前生をもち、ジャータカの物語のような修行の結果、凡夫が三阿僧祇劫の長い時間をかけて成ったものである、というドグマである。もし仏陀を「反復」と【九】見なすならば、同一体系内における菩薩の修道論との論理的整合は不可能である。また仏陀を「反復」と見なすならば、あらゆる仏陀から個性的な救済活動を奪う結果になる。
 仏陀が降誕を反復する存在であっても、救われる無数の衆生は、時間内の存在であることから、常に異なっており、種々に異なる衆生の救済をするためには、その度に、それに適した救済活動を行わなくてはならない。
 すると、時間の外では同一なる仏であっても、時間の中ではその顕現は、同一の仏としてではありえなくなる。つまり異なる救済活動を行なう、異なる仏陀となる。すると、仏伝の反復はありえなくなる。いや、仏伝の反復は部分的なものに限られてこざるをえない。このために、永遠反復説は部分的に修正されねばならず、妥協の形として、入胎から誕生までの場面や正覚の場面のみに同一性を限る、「部分的な永遠反復説」だけが、一般的な承認を受けえたであろう、と思われる。
 仏陀が衆生と関わりを持たない生涯の時期のみが、諸仏に共通な永遠反復でありえるのであり、歴史性の時間に生きている衆生に対処しなければならない生涯の時期においては、それぞれに仏は応変しなくてはならない。いっさいの仏陀の生はたとえ原則的には(無時間性の条件では)同一の反復であると見做されても、時間性の中ではどうしても個々の仏伝は非同一なる変奏とならざるを得ない。マハーヴァストゥにおいて、入胎から三十二相の占相の場面まで仏伝の反復が続けられ、そこから反復が切れてしまうのは、ディーパンカラ仏の生に、次第に歴史的な一回性の出来事が人間たちのために入り込んでくるからである。仏伝の永遠反復は、原則的にあらゆる仏伝を規制する効力を持ちながらも、個々の仏陀に特有の事件の介入を認めて、妥協することにならざるをえない。【十】
 しかし、注意しなくてはならないのは、大衆部のように、〈非時間的な世界〉と〈時間的な世界〉の二世界観を立てるならば、たとえ個々の仏陀の生に特有の出来事が入り込んできたとしても、仏陀が時間を越えている超越的で反復的な存在であるということと、矛盾はしていないということである。なぜなら、俗なる時間の「外」から見れば同一なる仏陀の現われであっても、俗なる時間の中に降りてきた仏陀を、その俗なる時間の「内側」から見たとき、個々の仏陀が特定の時代に属し、固有名前をもち、完全に法性に従った行為の中で、あたかも固有性を所有しているように見えるのは当然だからである。仏陀の連続は、法界から見れば「反復」なのであっても、人間の立場から見れば個々の仏陀たちが連続する「系譜」なのであり、それで矛盾しているわけではないのである。
 この仏伝の永遠反復信仰は、いわば無時間なるものの有時間なる世界への介入、の信仰ということができよう。
 このような信仰は、上座部よりも大衆部系の人々において、形而上学的な根拠をもちえたと思われる。『異部宗輪論』によれば、大衆部の教義においては、世間 (loka) と出世間 (lokottara)、すなわち〈輪廻の世界〉と〈それを越えた世界〉という、絶対的に分かれ た2つの世界が、想定されている。現象界(時間の世界)は、虚妄の世界であって、それを越えた世界、法界(永遠の無時間的世界)が、実なる世界である。仏は本来法界に属し、現象界に降りてきた仏は仮の姿にすぎないと主張される。
 この大衆部の「仏は出世間である」という思想は、仏伝の永遠反復説と疑いなくつながりあえる。繰り返すなら、仏伝の永遠反復とは、聖なる世界の無時間的存在が、時間的な世界に現われ出る仕方に他ならないからである。【十一】
 聖なる世界の無時間的存在が、時間的な世界にあらわれる仕方は、必ず永遠反復的になる。それは実体が1つであるのにたいして、「権現」は時間軸上に無限に配置されるからである。両者の関係は、祖型とその反復にあたるといえよう。祖型は、釈迦仏の仏伝が暗にその役割を担った。
 祖型とその反復という、宗教的な考え方については、エリアーデが『永遠回帰の神話』で示した、「聖なる時間と俗なる時間」の理論を思い出して頂きたい。エリアーデは聖なる時間は円環的であり、歴史的時間は直線的であること、聖なる時間は俗なる歴史的時間と並行してあり、聖の顕現が歴史的時間の内に現われる時、それは同一なる反復の形をとること、を豊富な例とともに示した。
 エリアーデがあげている、聖なる時間が俗なる日常的な時間に挿入される代表的な例は「祝祭」であるが、「祝祭」においては儀式が同一に反復され、人々は可逆的な時間の中で、自己の始原の神話的世界に回帰する。仏陀の歴史的時間の中への降誕は、この「祝祭」と同じ役割をするわけである。仏陀の降誕は、俗なるその世界を真理の世界に戻す役割を持っている。周期的な仏陀の出現は、世界を始原の神話的世界に回帰させる「祝祭」のようなものである、ということができる。
 この、エリアーデのいう「聖なる時間と俗なる時間」が、未開人や古代人の時間観念や思考形態において、かなりの普遍性・人類学的な広がりをもった構造に根ざしていることを、真木悠介は『時間の比較社会学』において明らかにしている<註6>。真木は、レヴィ=ストロースが『野性の思考』で明らかにした、〈原系列〉と〈派生系列〉とを分けるトーテミズムの思考と、エリアーデの宗教的時間論とが、構造的な同型性をもっていること、またムビティによるアフリカ人の時間意識の〈ササとザマニ〉論とも、構造的に一致することを指摘した。「聖なる時間と俗な【十二】る時間」の対立は、原始共同体の時間意識に根ざしているのであり、この意識構造から、〈顕在体〉と〈潜在体〉に分かれた2つの宇宙形式が宗教的に生まれ出てくるわけである。
 「聖なる時間と俗なる時間」の対立は、神話と歴史の対立であり、構造主義の用語を使うならば、共時態と通時態の対立である。この対立の延長線上に、法身の仏陀と生身の仏陀が対立する。法身の仏陀は共時態の仏陀であり、地上の仏陀は通時態の仏陀である。(図式1を参照)

 

【図式1】     聖なる時間      俗なる時間

          神話的時間      歴史的時間
          可逆的時間      不可逆的時間
          円環的時間      直線的時間
          共時的時間      通時的時
         非時間的時間      時計的時間
          本来的時間      派生的時
       無垢の世界の時間      堕落した世界の時間
       充溢としての時間      虚無としての時間

              ↓      ↓

          涅槃の世界      輪廻の世界

          法身の仏陀      生身の仏陀
      超歴史的神話(仏伝)     歴史的出来事

 インド人が民族的にもっている、通時態よりも共時態をどこまでも優先させる思考が、顕著な形をとって、仏教の内部で信仰の言葉で語られたのが、仏伝の永遠反復であるといえよう。仏伝という、本来きわめて歴史的な来歴をもつ出来事が、完全に共時的なものに変えられてしまっている。

 もともと、大衆部の教理は、長老側の正統的な意見に対して、在家者の大衆的な意見がつよく反映した意見であった。また大乗仏教も、部派教学の哲学的論争から起こったというよりも、民衆の間から発生した信仰運動である。それらの大衆部から大乗に共通した、民衆の仏陀信仰に忠実な流れの中から、仏伝の永遠反復説が出てきて、その仏伝の永遠反復説には、民衆の中に眠っていた、原始共同体の時間意識が色濃く反映していたと考えても、少しも【十三】不思議ではない<註7>。
 仏伝の永遠反復説は、それまでの権威的な上座部の教理とは噛み合うことがない考えである。しかし、そもそも大乗仏教の教理は、それまでの仏教の理知的な哲学体系の権威が弱まった時に、下の地盤から吹き出た、より民衆的で無意識な別の信仰体系、古代インド人の思考の下部構造により強く根付いた、熱烈なエネルギーをもつ新たな信仰体系の表出である。それは古い信仰体系とは噛み合わない、一見不条理な体系である。この新たな信仰体系と古い信仰体系とをいかに論理的に整合させるかが、後代の大乗の理論家たちの苦心したところであった。
 仏伝の永遠反復説の欠点は、二つある。ひとつは、菩薩の修道論と噛み合わないこと、もうひとつは、個々の仏陀から個性を奪ってしまうことである。しかし、仏伝の永遠反復説のすぐれているところは、無時間的な法界の顕現が、時間軸上に並んだ無数の仏陀であると考えていることである。この基本的な考え方のみを生かして、いかに欠点となる不都合な2つの点をうまく排除した理論をつくるかが、大乗の理論家に課せられた課題であった。
 結論を先に言えば、大乗の理論家たちは、三身説を発見することによって、仏伝の永遠反復が内包する不条理を克服した。仏伝の永遠反復説は、三身説の確立によって、より正確にいえば、仏陀の「報身」説の発見によって、消え失せたのである。
 仏伝の永遠反復説は、法身と生身という二仏身観を基にしている。この二仏身観は大衆部から初期大乗へと受け継がれた。仏陀を本体としては無時間的存在と見なし、過去仏や未来仏は時間の中に現われた顕現と見なす考えは、神話的思考に基づく二仏身観が支持される限り、常に当然の帰結であった。しかし仏陀を輪廻の世界に降りてきた「法界の顕現」と見做すと、個々の仏陀は個性を失って、単なる反復ということになる。すると個々の【十四】仏陀は修行の結果、仏陀に成った「人間」であるとは考えられなくなる。すると大乗における菩薩思想は崩壊せざるをえない。凡夫が発心して菩薩に成り、十地の階梯を経て仏に成るという道は形而上学の扉で永久に閉じられ、ただ仏陀のみが仏陀として現われてくるにすぎなくなる。菩薩たちすら、実は法身の仏陀が顕現した存在であるということになる。
 つまり仏陀を無始なるものとして崇める、新しい仏教の立場と、仏陀を人間がなったものと考える、オーソドックスな仏教の立場は、ここで絶対に矛盾するものとなる。
 仏陀観が発達したために必然的に生じた、この矛盾を乗り越えるために、新たに考え出されたのが三身説である。この三身説では、「法身」と「生身」の従来の二仏身の間に、中間的な仏身としての「報身」(受用身)を立てるのである。
 「報身」は、修行の結果としての果を所有し、固有の名前をもつ仏陀である点で、無時間的な「法身」とは異なるが、しかし法界に存在して、ほとんど無限の寿命を持ち、多くの化身を地上に下すという点で、従来の「法身」に等しい超越性をもつ。
 この「報身」の成立によって、仏陀は八十歳で入滅する歴史的存在(生身)でもなく、何の具象性ももたない非・歴史的な存在(法身)でもなく、歴史を越えながら歴史性を回復した存在となる。(図式2を参照)
 この「報身」の理論的な成立は中期の大乗、特に唯識学派においてであるが、しかしそれ以前にも『法華経』などの大乗経典においては、「法身」という言葉で、普遍的で非・歴史的な仏を指すのではなく、久遠釈迦という、「報身」にあたる仏を意味してきた。つまり、二身説らしく見えながら実際は〈法界〉−〈久遠釈迦〉−〈肉【十五】身釈迦〉の三段階になっており、すでにこの時代において、純粋な二身説の仏陀の非歴史性に対して物足りなさを感じる、熱烈な釈迦信仰を持つ人々が、実質的に三身説にあたる仏身観に移行していたと考えられる。

【図式2】

     仏身観成立の三段階

1. 歴史性の仏陀  

2. 非・歴史性の仏陀(法身)     ‥‥ 二身説の成立

3. 歴史を越えながら歴史性を回復した仏陀(報身) ‥‥ 三身説の成立

 二身説に基づく仏伝の永遠反復説でも、歴史的釈尊の仏伝は「祖型」として、過去仏の仏伝の記述に適用されてきた。「顕現」にすぎないすべての仏陀は等質であるはずで、祖型と反復の関係が一切の仏陀間に想像できる以上、我々が知っている唯一の仏陀である釈尊の仏伝を「祖型」に据えても、たいして違いはないはずだからである。しかし釈尊を、多くの仏の中の一人と見るか、唯一の仏と見るかは、その遺骨を安置した仏塔を信仰する人々にとっては、感情的な面で、大違いであった。彼らにとっては、法身が釈尊以外のあらゆる仏にも広げられた普遍的な概念を意味することは、信仰の希薄化のように感じられたに違いない。民衆は永遠反復する仏として、まるでブラフマンのような性質の仏を求めながら、それが是認されてくると、次にはヴィシュヌやシヴァのように人格あり、愛着がもてる永遠絶対の仏を求めたのである。そしてその信仰の立場から、単なる「反復」としての仏ではなく、歴史的釈尊の上に、無限の寿命をもつ「同じ釈尊という仏」が存在していることを、要求せざるを得なかったに違いない。

 このような釈迦や阿弥陀など「愛着をもつ仏」への要求に基づいた、理論的な「報身」説の完成によって、それぞれの過去仏にそれぞれの歴史性を持たせることが理論的に可能と【十六】なった時、釈迦仏の仏伝は一回的で絶対的なものとなり、他の仏と共通のものではなくなったのである。こうして「報身」の成立によって、仏伝の永遠反復は理論的に、より複雑で矛盾のない学説に克服された。出家の論師たちにとって非時間的仏陀と時間的仏陀の二元論の内包する矛盾に悩む必要はなくなったわけである。その後も、民衆の中には、信仰として単純明快な、永遠反復の法身信仰をもつ者がなお在続していたであろうが、しかし仏教全体の流れから見れば、永遠反復の仏陀観が大衆部から初期大乗にかけて一つの流れとして現われただけで、すぐさま仏教の新しい流れは、久遠釈迦や阿弥陀などの特定の仏への熱狂的な信仰に向かっていったのではないかと思われる。

(1)Heinrich Zimmer, Myths and Symbols in Indian Art and Civilization. New York, 1946. 宮本啓一訳『インド・アート』せりか書房、1988年、27〜8頁。
(2)Otto Franke, Der dogmatische Buddha nach dem Diighanikaaya. WZKM 28 (1914), S. 331-355 (= Kleine Schriften. Wiesbaden 1978, Teil 2, S. 1139-1163.)
(3)なお、あらゆる仏が三十二相八十種好の同一の姿をもって出現するという、過去仏思想と平行して出て来た考えも、仏伝の永遠反復説の表れと私は見たい。
(4)ラリタヴィスタラには、「随順世間」の語が頻出する。拙稿「普曜経の研究(下)」『文化』53巻3・4号(1990年)267頁参照。
(5)阿含や大衆部系統以外の、他の仏伝にも、永遠反復説の痕跡・影響を指摘することが可能である。例えば、過去現在未来のあらゆる仏陀が、ブッダガヤーで同一の金剛宝座の上に坐って正等覚を得たという記事は、根本有部の仏伝『破僧事』を始めとするほとんどの発達仏伝が採用しているが、これは明らかに仏伝の永遠反復説の表れとみなすことができよう。そ【十七】もそも紀元後に現われた発達仏伝は、仏陀に対して熱狂的な信仰を抱く大衆部系統で形成された大がかりなものが、他部派にも広がっていったものと思われる。右脇から生まれたり、象の姿で降誕したりするのは、本来大衆部の部派に限られる説であったものが(『異部宗輪論』参照)、仏伝文学の流行によって他部派にも広がっていったものである。このために、仏伝は部派を越えて互いに類似するに至ったものと思われるが、同時にそれによって大衆部系統に由来するであろう仏伝の永遠反復説を反映した仏伝の描写が、痕跡あるいは模倣として他部派の発達仏伝の中に残るに至ったと考えられる。
(6)真木悠介『時間の比較社会学』岩波書店、1981年、44〜59頁。
(7)なお、古い時代の民衆における仏陀観を知る手がかりが、バールハットやサーンチーの仏伝彫刻に見出せる。そこでは仏陀だけが、不可視の無時間的存在として、姿がなく、一方仏陀を取り巻く世界は、可視なる時間的世界のなかにとどまっている。つまり時間を越えている存在と、時間の中にいる存在との二元的区別が、はっきりと民衆の仏陀信仰にあったことをうかがわせる。民衆の仏陀観は、大衆部の仏陀観と方向性が一致していたといえよう。

※本論文は平成二年度文部省科学研究費補助金による研究成果の一部である。


以上が雑誌に掲載された論文の全文であるが、この論文の執筆において、参照して非常に有益であった2本の論文をここで挙げておきたい:

武内紹晃「仏陀観の変遷」、『講座・大乗仏教1-----大乗仏教とは何か』、春秋社、昭和56年。

ルーベン・アビト「仏身論の展開」、『宗教研究』52巻、1978年。