仏教ストートラの中央アジア梵語写本を整理したSchlingloff(1955)は<註1>、第3次トルフ ァン探険隊がQizilからもたらした収集品の中に、3つの断片で1葉をなす、あるMaat#rce#taの作品の破片を発見した。Schlingloffが知り得たのは、コロフォンの1行 /// samaapta#h k#r(tir aacaa)ryasthaviramaat#rce(#tasya) ///から疑いなくMaat#rce#taの作品であること、%Saarduulavikrii#dita調の韻律を用いた作品であること、しかし作品名 はわからず、チベット大蔵経テンギュルの中のMaat#rce#taの諸作品のどれとも一致しないこと、であった。
この断片がAnaparaaddhastotraという作品であることを発見したのはPauly(1960)である<註2>。PaulyはパリのPelliot収集梵本断片を整理する中で、約4分の3が残っている1葉の写本が、Schlingloffが紹介したのと同じその作品であることに気づいた。その1葉 (Ms.1292) には作 品の最後の6詩節(第21詩節から第26詩節まで)が大体残されており、コロフォンは無傷で、そこには anaparaaddhastotra#m samaapta#m k#rtir aacaaryasthaviramaat#rce#tasya //(《過誤なき者への讃》おわる。師・長老マートリチェータの作)と書かれている。そして、最後の1詩節の部分でSchlingloffが示した断片と一致する。両者を比較すると、先にSchlingloffが同一の葉に属すると推定した3つの断片のうち、左の断片はじつは別の葉の断片であることもわかった。またPaulyは、Schlingloffが作品名不明としてあげたベルリン写本断片Ms.1246の173-174, 175-176, 179-180, 190-192の4つの断片も、Anaparaaddhastotraの断片であることをPelliot Ms.1292 との一致によってつきとめた。それらの小断片は第19詩節から第22詩節の部分にあたる。こうして、作品の第19詩節から第20詩節までは一部の、そして第21詩節から第26詩節(最終詩節)までは大部分のテキストが明らかになった。Paulyは第21詩節から第26詩節までは仏訳している。
W. Couvreur(1966)は<註3>サンスクリット・トカラ語両語で記されたAnaparaaddhastotraの1断片を報告している (Nr.22)。さらにHartmann(1987)は<註4>ロンドンのHoernleコレクションにおいて2断片を見出した。
Skt. MS.: Turfan I, Nr. 700
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