5.Ga#n#diistotra(-gaathaa) ガンディー・ストートラ

 漢訳大蔵経中には、翻訳ではなく梵音をそのまま漢字で音写した経が存在するが、von Sta%el-Holstein(1913)は<註1>、宋の法天と法賢が漢語に音写した3つの讃頌を梵文に戻した。すなわち法賢訳<註2>『けん稚梵讃』(Ga#n#diistotra)、法天訳『七仏讃唄伽陀』(Saptajinastava)、法天訳『文殊師利一百八名梵讃』(Aaryama%nju%srii-naamaa#s#ta%sataka)である<註3>。これら3本はどれもチベット訳が存在するため、von Sta%el-Holsteinはチベット訳を 参照して漢語の梵文還元を行った。彼の出版本(Bibliotheca Buddhica XV)においては 、これら3つの作品について、チベット文・漢文・漢語の音・対応する梵音・梵文の5つが並記され、最後に得られた梵文のみが集められて、回復されたテキスト全体が示されている。

 3つの作品は漢文ではどれにも作者の名は記されていないが、チベット訳ではGa#n#diistotraのみにRta-dbya+ns(A%svagho#sa)という作者名がある。このため、Sta%el-HolsteinはGa#n#diistotraの作品を馬鳴に帰した。

 こうして知られた梵文Ga#n#diistotraの再校訂をJohnston(1933)は行い<註4>、漢語の音写とチベット訳をより一致させる方向で、梵文を訂正した。彼は梵文テキストを示し、漢文・チベット文およびvon Sta%el-Holstein本の異読をあげ、英訳をし注解を付けている。この校訂テキストをもって原典批判は一応完了した。

 JohnstonはGa#n#diistotraを馬鳴の他の作品と比較してみて、馬鳴の真作たるを疑う。von Sta%el-Holsteinは詞華集Kaviindravacanasamuccaya(=Subhaa#sitaratnako#sa) の中で馬鳴に帰される1詩節が<註5>文体においてGa#n#diistotraに近いことを指摘したが、だからといってGa#n#diistotraを馬鳴に帰する根拠にするには弱すぎる。作品中にカシュミールの語が出てくるのはその地での成立をうかがわせるが、馬鳴の伝記にもカシュミールが出てくるので決め手にならない。否定するにも肯定するにも決定的な根拠がないのが実状である。

 辻直四郎(1978)は<註6>『仏教文庫(Bibliotheca Buddhica)文献解題』中にGa#n#diistotraを解説し、冒頭の2詩節を和訳して紹介した。全体の和訳はいまだ無い。

 作品はGa#n#dii(けん稚、僧房で打ち叩かれる木板)を称えた讃頌である。第1〜第11詩節で釈迦仏が僧たちを守護せんことを祈り、第12詩節以下では、Ga#n#diiの威力が称えられ、Ga#n#diiの音に祈りが捧げられる。詩の中にはさまざまな音、響き、叫び等が擬声語としておびただしく入れられており、詩そのものがGa#n#diiの響きと一体になっているかのようである<註7>。

Tib.: Toh 1149, Ota 2040, N(T)40

 Rta-dbya+ns(馬鳴)造  Rgyal-ba#hi sde, Dharma yon-tan 訳

Ch.: 大正 1683.  けん稚梵讃  宋 法賢 訳

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