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 Har#sa王の他の作品としては、戯曲Ratnaavaliiと戯曲Priyadar%sikaaが有名であるが 、仏教的な作品ではないため、扱わない。王の仏教信仰を伝える作品としては、A#s#tamahaasthaanacaityavandanastava(八大霊塔梵讃)とSuprabhaatastotra(暁の仏讃)がある。

 1.A#s#tamahaasthaanacaityavandanastava

 梵文写本は見つかっていないが、宋の法賢が梵音をそのまま漢字に音写した経『八大霊塔梵讃』と、チベット訳とが伝わっている。作者を漢訳では戒日王(Har#sa)、チベット訳では%Srii Har#sadevaとしていることで伝承が一致する。チベット訳ではコロフォンに「カシュミールの王」 %Srii Har#sadeva が母を喜ばせるためにこの作品を作ったと記されている。母は熱心な仏教信者であったのであろう。戒日王の時代にインドを旅した玄奘は、戒日王の妹が熱心な正量部の信者であったことを報告している。戒日王の時代には、インドの主要な仏蹟はことごとく正量部の管理下にあったから、戒日王の家族と正量部との繋がりも、戒日王が八大聖地の讚を創作したことと関係しているかも知れない。チベット訳の翻訳者は%Srii J%naanamitra とYon tan dpalである。漢文は法賢が梵語をそのまま漢字で音訳したものだけで翻訳は付けられていない。作品は5詩節から成り、作品名によれば『8つの偉大な場所の塔廟 caitya を礼拝する讃歌』すなわち八大仏跡にある塔廟に捧げられた讃であるが、しかしその内容はインドの八大仏跡にとどまらず、地上あるいは宇宙すべての塔廟仏舎利に対して、礼讃している。
 Sylvain L+evi(1897)は<註1>漢音訳『八大霊塔梵讃』から(チベット訳を参照せずに)初めて還梵を行い、A#s#tamahaa%sriicaitya(sa#msk#rta)stotraという作品名で、その復元した梵文を発表した。
 さらに、Ettinghausen(1906)は<註2>仏訳を行い、梵文と共にあげた。榊亮三郎(1913)は<註3>L+eviの還梵した梵文をチベット訳を参照して再検討し、和訳と解説を付けた。
Sylvain L+evi が漢語音写から還梵した梵文テキストは榊亮三郎の論文に再録されている。Ettinghausenの書は筆者未見である。最近 Janardan Shastri Pandeya が Bauddha-stotra-sa#mgraha (Delhi, 1994) という、仏教徒の梵文テキストの讃 (stotra, stava) を集めた本をインドから出版したが、その78頁に、Caitya-vandanaa stotram という題名でこのハルシャ王の梵讚の梵文テキストがある。この Pandeya のテキストがどこから出てきたのか不明であるが、Sylvain L+evi の還梵したテキストと比べてみると、あちこち語句が違っていて、非常に興味深い。また研究として中村元 (1980) の論文があるが<註4>、筆者未見である。
 八大霊塔讃の類似の文献として、チベット大蔵経テンギュル部には龍樹に帰される2つの A#s#tamahaasthaanacaityastotra(東北 No.1133, 1134)がある。チベット大蔵経テンギュル部にある。両者は内容的に別の作品である。共に作者名は龍樹 (Klu sgrub; *Naagaarjuna) とされているが、龍樹の真作である可能性は少ない。その作者名は大乗教徒が作った作品であることを示唆している。両作品の翻訳者は Tilaka と Pa tshab %ni ma grags で、12世紀前半に訳業にたずさわった人たちである。このように、似た名前の「八大聖地チャイティア」の讚が3種類も今に伝わっていることは、それが一つの文学創作のジャンルとしてあったらしいことをうかがわせる。小さな讃歌(stava, stotra)を古典梵語で作ったり唱えたりすることは、インドの仏教徒にささやかな宗教的かつ文学的な喜びをもたらしたらしく、時代を通して好まれ、マートリチェータの頃(2世紀)から始まってインド仏教が滅亡する時(13世紀初め)まで続いた。
また法賢は『仏説八大霊塔名号経』(大正 No.1685)という経を漢訳しているが、これは讚ではなく、仏陀自らが八大霊地の場所を説いた経である。散文(長行)と重頌で語られている。法賢の漢訳のみで伝わる。法賢が戒日王の『八大霊塔梵讃』は音訳するのみにとどめて翻訳を避け、『仏説八大霊塔名号経』だけを訳したのは、両作品の中の八大聖地の内容が違っていたから、仏説による八大聖地のみを中国に紹介したかったかも知れない。法賢は天息災の改名した後の987年以降の名前であって、この経は彼が西暦1000年に寂するまでの間の訳業である。
P. C. Bagchi(1941)は<註5>龍樹の二梵讃と『仏説八大霊塔名号経』を英訳した。

Tib.: Toh 1168, Ota 2057, N(T)57

 梵名A#s#tamahaasthaanacaityavandanastava
 %Sriihar#sadeva造;  %Sriij%naanamitra, Yon-tan dpal訳

Ch.: 大正 1684. 八大霊塔梵讃(1巻)  西天戒日王製 ‥‥ 宋 法賢 訳

註 

1) Sylvain L+evi(1897): Une po+esie inconnue du roi Har#sa %Siilaaditya, Actes du Xe Congr#es international des Orientalistes, II, 1, 1897, pp.189-203.[再録:M+emorial Sylvain L+evi, 1937, pp.244-256]

2) M. L. Ettinghausen(1906): Har#sa Vardhana, empereur et po#ete, de l'Inde septentrionale (606-648 A.D.), +etude sur la vie et son temps, Londre-Paris-Louvain. p.176-9

3) 榊亮三郎(1913):所謂戒日王御製の八大霊塔梵讃につきて、『藝文』第4年、No.5, pp.39-50, No.6, pp.21-30.

4) C. Bagchi(1941): The Eight Great Caityas and Their Cult, Indian Historical Quarterly, Vol. XVII, pp.223-235.

[補]

以上の八大聖地チャイティアを讚える四作品における八大聖地とはいかなるものか。その聖地名を以下に紹介すると、まずハルシャの『八大霊塔梵讃』では、全部で5偈あるうち、第1偈に八大聖地が挙げられているが、それは(1) 「誕生」の地, (2) 「菩提樹」の地, (3) 「転法輪」 の地, (4) 「三界から崇敬される第一番のチャイティア」、 (5) 「大神通処」 、(6) 「雪山の住まいである、かの地」、 (7) 「天からの降下」の地、 (8) 「仏の滅度」の地、の八聖地である。
このうち、(1) がルンビニー、(2) がブッダガヤー、(3) がヴァーラーナシー郊外の鹿の苑、(5) がシュラーヴァスティー、(7) がサーンカーシャ、(8) がクシナガリーを指していることは明らかであるが、 (4) 「三界から崇敬される第一番のチャイティア」と、(6) 「雪山の住まいである、かの地」が何処を指すのかわからない。このように二箇所不明であるが、ここに挙げられた八大聖地とは、古い(四相図の)四大聖地にシュラーヴァスティーとサーンカーシャを加え、その他に神話的な二箇所の聖地を加えたものであるらしいことがわかる。(なお榊亮三郎(1913)は (4) の「三界から崇敬される第一番のチャイティア」を単に(5) 「大神通処」にかかる同格句と考え、また(6) 「雪山の住まいである、かの地」をも (7) 「天からの降下」にかかる同格句と考える。すると六大聖地しか語られていないことになり、作品の題名の八聖地と矛盾することになるため、私は榊亮三郎の解釈を採らない。)
次に、漢訳『仏説八大霊塔名号経』(大正 No.1685)では、次の八聖地があげられる:(1) 迦毘羅城の龍彌爾園 =「佛生処」, (2) 摩迦陀国の泥連河辺菩提樹下=「佛証道果処」, (3) 迦尸国の波羅奈城 =「転大法輪処」, (4) 舎衛祇陀園=「大神通処」, (5) 曲女城=「従とう利天下降処」, (6) 王舎城=「声聞分別佛佛為化度処」, (7) 廣嚴城霊塔 = 「思念壽量処」, (8) 拘尸那城の娑羅林内大雙樹間 = 「入涅槃処」。ここに挙げられた八大聖地とは、古い(四相図の)四大聖地に、シュラーヴァスティーとサーンカーシャ----サーンカーシャの仏蹟はごく近くにある都市である曲女城 (Kaanyakubja) の名であげられている----を加え、その他にラージャグリハ(王舎城)とヴァイシャーリーを加えたものであるらしいことがわかる。
次に、龍樹作のチベット訳『八大聖地チャイティア讚』(東北 No.1133)の讚では、(1) 誕生地としてのルンビニー、(2) 菩提樹処、(3) 初転法輪の地としてのヴァーラーナシー、(4) 大神変の地としてのシュラーヴァスティー、(5) 天界降下の地としてのサーンカーシャ、(6) 説法の地として竹林精舎があるラージャグリハ、(7) 寿命決定の地としてのヴァイシャーリー、(8) 涅槃の地クシナガリーの八大聖地を、明確に地名を出して挙げている。ここに挙げられた八大聖地とは、上の(b) の経で挙げられた八大聖地と全く同じである。
次に、龍樹作のチベット訳『八大聖地チャイティア讚』(東北 No.1134)の讚では、すこし違った八聖地をあげる:(1) 大いなる悟り mahaabodhi のチャイティア、(2) カピラヴァストゥの吉兆出現 ma+ngalotpaada のチャイティア、(3) ビンビサーラ王の狂象を仏陀が調伏された、ヴァーラーナシーにある都市教化 nagara-vinaya のチャイティア、(4) 仏陀がご自分の寿命について考え、またハヌマーン猿が33生にわたって蜜を捧げた<地にある>憐れみ karu#naaのチャイティア、(5) 人や天に神通を示し、六師外道を調伏し、梵輪を転じた<地にある>神通示現 praatihaarya のチャイティア、(6) 「ナンダなどの龍の群によって敬重<がなされ>、供献の娘によって乳が献じられた、教誡・全世界の制伏・寂静・勝利のチャイティア」、(7) 「菩薩と辟支仏と声聞阿羅漢たちに囲まれて禁戒と戒律に住した地にある清浄さ vi%suddhi のチャイティア」、(8) 涅槃 nirv#rti のチャイティア。ここに挙げられた八聖地のチャイティアの地名は、(1) がブッダガヤー、(2) カピラヴァストゥ 、(3) ヴァーラーナシー、(4) ヴァイシャーリー、(5) シュラーヴァスティー、(8) がクシナガリーである。(6) と(7) の地がよくわからない。

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