岡野潔『インド仏教文学研究史3:
仏伝 Lalitavistara 研究史』
Lalitavistara(遊戯の詳細)
1807年イギリスの少佐 Will. Duglas Knoxはネパ−ル滞在中にLalitavistaraの写本を手に入れた。彼はカルカッタのH. T. Colebrookeのもとにそれを運んだ。これがロンドンのIndia Officeにある双子の写本 (Thomas 7800, 7801) であるが、ColebrookeがLalitapuraa#naという誤った作品名で紹介した後、1836年にその写本によって早くもR. Lenz(1836)は<註1>作品の大まかな要約を発表している。こうして、梵語で書かれた他の仏教経典がHodgsonのネパ ールにおける写本収集によって初めてヨーロッパに知られたのに対し、Lalitavistaraだけは例外的 により早くから知られていた仏教典籍であった。入手経路はわからないが、Colebrooke以前にサンスクリット学の祖 Sir William Jonesもその写本を知っていたらしい。
しかしLalitavistaraの本格的な研究が始まるのはチベット訳によってである。Csoma de C%or%os はその梵語原典からの翻訳をチベット大蔵経カンギュル部に見出し、1839年に内容の詳しい要約をもってLalitavistaraを紹介した<註2>。またFoucauxは1841年に第7章の部分のチベット訳テキストとその仏訳を出した後<註3>、1847年にLalitavistara全体のチベット訳テキストを第1巻 として、1848年に全体の仏訳(チベット訳からの重訳)を第2巻として出した<註4>。
晩年のE. BurnoufはFoucauxのチベット訳と、Hodgsonから1837年にパリに送られた 写本を使ってLalitavistaraを研究し、成果は法華経の仏訳(1852)に<註5>付録として付けられた諸論考と なって結実した。第8付録「大人の三十二相について」、第13付録「四禅定について」、第20付録「阿僧祇の数について」、第21付録「若干のテキストのサンスクリットとパーリ語両本比較研究」などでは、Lalitavistaraが重要な資料として利用されている。なお、突然のBurnoufの死によって中断された第21付録は、LalitavistaraとパーリのSaama%n%naphalasutta(沙門果経)が比較されている。
R. Mitraは6本のLalitavistaraの梵本をベンガルのアジア協会にあるHodgson収集写本によって得 た。それに基づき彼は1858〜77年に分冊で梵文テキストを初めて公刊し<註6>、次いで1881〜86年に第15章中頃まで(中断)の英訳をBibliotheca Indicaに出版した<註7>。
Mitraのテキストの出現によってLalitavistaraの研究は促進された。さっそくE. M%uller(1874)は<註8>博士論文として、Lalitavistaraの韻文に見られる「偈頌(Gaathaa)方言」の文法的研究を行い、(I) 語音論と (II) 形態論とに分けて文法を体系的に記述し、終わりに (III) 韻律法をまとめた 。
H. Oldenberg(1882)は<註9>Mitra本とパーリ阿含を比較した。彼はLalitavistara中にパーリの阿含と共通している素材から成る古い構成を見出し、Lalitavistaraには成立が異なる新古2つの層があると 考えた。Lalitavistaraの古い構成部分はパーリ語あるいはマガダ語で本来書かれてあったと思われるのに対して、新しい層は初めから「偈頌方言」つまり仏教梵語を用いて書かれたと推定される。こうして、Oldenbergは現存のLalitavistaraに時代の異なる新旧の部分を分けて、そこに言語の違いを見出した。
Kern(1884)も<註10>、その法華経の英訳の序文において、LalitavistaraとパーリMahaavagga I. 5-6のいくつかの極めて類似する詩節を並べて見せ、Lalitavistaraが古い資料に遡ることを示した。
またLalitavistaraのパーリ阿含テキストとの比較は、Windish(1895) (1908)の仏伝研究によって詳しくなされた<註11>。特にWindish(1895)の「魔と仏陀」では、Suttanipaata 425-449 (Padhaanasutta)とLalitavistaraの第18章、Suttanipaata 405-424 (pabbajjaasutta) とLalitavistara第16章、ま たMaarasa#myutta 3・5 dhiitaroとLalitavistara第24章が比較され、該当部分が訳された。
さて先にチベット訳を翻訳したFoucauxは、その後の梵本写本の研究に触発されて梵本 にとりかかり、1884年には梵本からの仏訳をギメー博物館年報6号に発表した。彼は翻訳にあたってMitra本テキストとパリの3本の写本とチベット訳を参照したが、それら の読みの異同は1892年に第2巻として、ギメー博物館年報19号に載せられた<註12>。第2巻の第1部は訳註であり、第2部ではパリの3本の写本、すなわちSoci+et+e Asiatique の1本 (A) とBiblioth#eque nationale の2本 (B, C) の異読を知ることができる。Foucaux の仏訳は実際は、R. Mitraのテキストに大きく依存していた<註13>。
S. Lefmannは1874年にMitra本を用い、写本をいくつか参照して最初の第1〜第5章を独訳した<註14>。この訳は本の4分の3が豊富な註で占められている。
次いで彼はMitra本が 誤りの多いテキストであったために、新たな校訂を計画した。先の5章の翻訳の出版後、彼は手に入る限りの写本を収集し、1875年の「偈頌 (Gaathaa) 方言について」という論文で<註15>、それらのLalitavistara写本について報告している。彼の新しい校訂本は1882年に印刷に回されたが、不幸にも本が出版できたのは20年後の1902年になってであった。LefmannはLalitavistaraの漢訳は参照せず、チベット訳の異読もFoucauxのチベット訳からの仏訳によ って間接的に知り得ただけであるが、梵本写本は8本を集め(A, S, Ba, Bb, H, La, Lb, C−− ただしCはあえて用いなかったが)、Mitra本も参照して校訂本をつくった。それらの写本の異読は第2巻としてまとめられ、第1巻から7年後の1908年に出版された<註16>。このLefmann本テキストは、Speyer(1903), Weller(1915), Edgerton(1953), Schubring(1954)などの原典批判によって訂正され、なお問題多いものでありながらも、現在の基本テキストになっている。
Bendall(1902)は<註17>Sik#saasamuccayaを校訂したが、その中に引用されたLalitavistaraの2つのパッセージ、すなわちLefmann本, pp.173-175(第13章第69〜91偈)、pp.175-177(第13章第95〜117偈)にあたる部分は、チベット訳をも参照して校訂され、Lefmann本 の原典批判に裨益すること少なくない。
Speyer(1903)は<註18>Lefmann(1902)の第1巻テキストに対する書評として、テキストを厳し く攻撃し、原典批判を行った。
Weller(1915)は<註19>、博士論文として、第1部でまずLefmann本11.10- 46.18 の韻文の部分を例にとって、Mitra本と比べていかにLefmannによる写本研究に基づくテキストが、韻律上のエラーを減らしたかを数字をあげて証明した。第2部ではLefmannが用いなかった1写本 (l; India Office Library 688) と、Lefmann本との異同を、Lalitavistara第7章Janma-parivartaの部分だけに限って報告した。この写本 (l) はLefmannが用いた双子の写本 (LL) のオリジナルである。しかし新しい読みはこの写本からほとんど得ることができない。第3部は論文の中心をなし、その前半はLalitavistaraの散文部分の原典批判にあてられている。後半では散文部分に見られる仏教梵語の形態論的特徴をまとめ、巻末にLefmann本の誤植訂正表を置く 。
H. Smith(1951)は<註20>Lalitavistara第5章第16〜35偈(Lefmann, 45.1-46.18)の部分のテキストを、チベット訳も参照して再校訂した。またH. Smith(1953, 54)は<註21>、Lalitavistara第23章第30偈(Lefmann, 362.11-14)と第23章第26〜29偈(Lefmann, 361.16-362.10)の部分のテキ ストを、再校訂した。
Edgerton(1953)の仏教混淆梵語文法・辞書は<註22>、Lefmann本テキストのすべてのページにわたってEdgertonが行なった語彙研究を重要な一部として含むものであり、たくさんのLefmann本の読みの訂正が辞書の記述の中に提案されている。また同時に出された「仏教混淆梵語読本」には<註23>、Lefmann本 186.21-192.14(四門出遊)と407.12-409.20, 416.15-418.21, 418.22-420.10(初転法輪)の部分のテキストが新たに校訂し直された。
Schubring(1954)も<註24>Lefmann本の原典批判を行なったが、初めに第1部でOxfordのBodleian文庫 にLaghu-lalitavistara(-aakhya Buddhapuraa#na)という作品と、Buddhacaritaというジャイナ教徒が作ったらしい作品がある(共に Aufrecht カタログ No.142)を紹介し 、特に前者Laghu-lalitavistaraはLalitavistaraの内容摘要であると報告する。Bodleian文庫の別のカタログ Winternitz・Keith 1406(2) に同名の写本があるが、その記述によれば、Laghu-lalitavistaraはPanditの1人がColebrookeのためにLalitavistaraから抜き書きした作品である。SchubringはこのLaghu-lalitavistara中に借用されたLalitavistaraの偈頌から得られる異読をも参照しながら、この論文の中核部である第2部でLefmann本の全体にわたる原典批判を行なった 。そして終わりに第3部で、Lalitavistaraにおける文体の3人称と1人称の交替、偈頌の形成およ びLalitavistaraという書名について考察している。
Vaidya(1958)は<註25>Lefmann本を多少手直ししたテキストを、インドからBuddhist Sanskrit Texts の第1巻として出版した。この版でVaidyaはいう、Mitra本は古典サンスクリットに合わせすぎている。Lefmann本は写本に基づく立場をとったが、Wellerは訂正が必要であるとした。しかしWellerの批判がパーニニアン文法への訂正を意味するなら、私はそれに同調できない。一方Edgertonはあくまで写本の読みを重んじる立場を取るが、私はそれもゆきすぎと考え、両方の中道をとるのである、と。実際にこのVaidya本のテキストはLefmann本よりも読みやすくなっている。しかしWeller以降の原典批判の成果がこの版に少しも反映されていないのは残念なことである。
Regamey(1973)も<註26>Lalitavistaraの原典批判に貢献した。彼はLefmannのテキストがチベット訳を参 照するだけで、かなり訂正できることを指摘し、Lefmann本 108.10-112.2 の20詩節を、チベット訳を用いて再校訂した。彼はまた、アシタ仙の挿話 (Lefmann, 101-112.1) の部分 について、2本の漢訳と梵本の違いを比較している。
さて、翻訳はLefmann本以前にFoucauxによるLalitavistaraの仏訳がなされて以来、Lalitavistaraの全訳は久しく現われなかったが、最近%Saantibhik#su %Saastrii(1984)が<註27> Lefmann本に基づくヒンディー語の全訳を、チベット訳との比較対照による豊富な訳註を付けて出版した。一方、アメリカのDharma出版から出されたG. Bays(1983)の英訳は<註28>、協力者によってチベット訳も確かめてもらったというが、Foucauxの仏訳からの重訳である。
Lalitavistaraの抜粋訳はかなりなされた。Windish(1895)の抜粋訳は先にのべたが、その後Lefmann本に基づいて、Krom(1929)は<註29>ボロブドウルの120枚のレリ−フに対応するLalitavistaraの文章を 抜粋英訳した。またWaldschmidt(1929)は<註30>『仏陀の生涯の伝説』という仏伝資料の抜粋集 を編み、成道までの記事は、ほとんどLalitavistaraから抜粋して独訳した。Thomas(1950)も<註31>『悟りを求めて』という仏伝の抜粋集を編んで、Lalitavistara, Mahaavastu, Divyaavadaana, Avadaana%sataka 等の部分訳を収めたが、Lalitavistaraは54.18-58.2 (第6章), 78.1-84.13(第7章), 343.13-350.14 (第22章)の箇所が英訳された。日本では田久保(1935)が<註32>Lalitavistara第11章(樹下見犁品)を和訳し、外薗幸一(1978a)が<註33>Lefmann 13.19-18.10の部分(転輪聖王の記事)を 和訳した。
やや詳しいLalitavistaraの仏伝の梗概は、Beckh(1916)の<註34>『仏教−−仏陀とその教理』の上巻に含まれている。Beckhは、上のWaldschmidt(1929)と同じ方針、すなわち、仏陀の生涯を記述するにあたって、さまざまな資料から断片を寄せ集めるよりも、一貫して纏った仏伝に準拠したほうがよい、という方針によって、誕生から成道までの記述はすべてLalitavistaraを用いたのである。
次にLalitavistaraについてなされた個別的な研究に目をむけると、Pleyte(1901)は<註35>初めて、ジャ ワのボロブドウル大塔の第1回廊主壁上段の120枚の仏伝レリーフとLalitavistaraとの照合を行なった。その照合をより厳密に仕遂げたのがKrom(1926)である<註36>。
Kennedy(1917)は<註37>Lalitavistaraの仏伝やVi#s#nupuraa#naのクリシュナ伝説の中に、聖書と並行す る点を数え上げ、特にそこにみられる聖なる幼子の福音の伝説は、キリスト教がインドに与えた影響と見なすべきことを主張した。
Nariman(1919)の『梵語仏教の文献史』は<註38>、第4章をLalitavistara研究の紹介にあてた。
Thomas(1931)は<註39>太子の習得した六十四の技芸の1つとしてのGandhayuktiの語を考察した。
Edgerton(1937)は<註40>主にLalitavistaraと法華経の韻文を資料として、仏教混淆梵語のアオリスト形 を研究した。
Thomas(1940)は<註41>Lalitavistaraが説一切有部の伝承を基盤にして、そこに編纂者の大乗思想が注ぎ 込まれて成立したと想定し、編纂者の意図をその大乗的特色に注目しながら読み取ろうとした。有部の部派に基づいたという彼の前提はしかし根拠を欠く。
Poppe(1967)(1968)は<註42>今は失われたチベット文のLalitavistaraの抄本(Chos-kyi #hod-zer)の、モンゴル語訳としてのみ残されたテキストを研究し、翻訳した。
Mette(1973)は<註43>ジャイナ聖典によく見られ、韻文と詩的散文との中間に位置する、アー リヤーに近いga#naで組み立てられた韻律Ve#dhaを、LalitavistaraおよびDivyaavadaanaに指摘した 。
外薗(1984)は<註44>テキストの奇妙な欠落が多く見られる不完全なLalitavistaraの写本 Matsunami 334 の報告を行なった。このLalitavistara写本はMatsunami 339の写本の後半を成すらしい。
さて、Lalitavistaraには異本として漢訳が2本伝わっている。すなわち、竺法護が西暦308年 に訳した普曜経 (大正 No.186) と、地婆訶羅が683年に訳した方広大荘厳経 (大正 No.187) である。これらの漢訳とLalitavistaraとの比較研究を見てゆこう。
Weller(1915)の論文は<註45>方広大荘厳経を大まかに参照した。また彼は結語で、Lalitavistaraの散文部分も本来はMahaavastuに見られるごとく俗語で書かれてあったろうとのべ、(Lalitavistara p.127の) 菩薩が字母を学習する場面において列挙されるサンスクリット音節表の例をあげて、 俗語の要素を指摘したが、そこで彼はLalitavistaraの最も古い訳である普曜経ではこの表が違って いることに注意している。しかし普曜経のあげる表がどのようにLalitavistaraのものと違っているのかをWellerは触れずにすませた。その難解な漢文に本格的に取り組んだのはBrough(1977)の論文であり<註46>、普曜経に出る表が実はa ra pa ca naで始まる、四十二字門と呼ばれる音節表であること、そこにはガンダーラ語の特徴が見られることを指摘した。
de Jong(1954)は<註47>Lalitavistara第7章 のアシタ仙の挿話をLalitavistaraと普曜経と方広大荘厳経とで比較し、アシタ挿話の原形を探った。両漢訳の該当箇所の仏訳が論文には添えられている。アシタ仙の伝説の比較研究はこの後、Regamey(1973)と外薗幸一(1974)によっても行なわれた <註48>。
全体にわたる詳細な漢訳との比較は日本の研究者によって行なわれた。方広大荘厳経とLalitavistaraの全体にわたる比較は外薗幸一(1978b)が<註49>初めに行い、さらに普曜経を加えた3異本の総合的な比較は岡野潔(1987, 88a, 90)によってなされた<註50>。
Lalitavistaraの1つの章に焦点をあてた日本における研究としては<註51>、田久保周誉(1935)の第11 章 K#r#sigraama-parivarta の研究、山岸俊岳(1983)の第18章 Naira%njanaa-parivarta の研究、外薗(1975)・深津繁人(1981)・山岸(1985)の第21章 Maaradhar#sana-parivarta の研究、平井宥慶(1970)(1971)・松原秀道(1984)・山岸(1987)の第22章 Abhisambodhana-parivarta の研究、松原(1982)の第24章 Trapu#sabhallika-parivarta の研究、松田祐子(1987)の第26章 Dharmacakrapravartana-parivarta の研究、外薗(1982, 83)の第27章 Nigama-parivarta の研究がある。また、Lalitavistaraには欠ける普曜経巻八の部分は外薗(1983)・松田(1988)・岡野(1990b)によって論じられた。
また田久保(1975)と岡野(1988b)は<註52>それぞれ独自に、仏本行集経の編纂に使われたLalitavistaraのすべての借用部分を指摘した。
外薗(1981a, 81b, 81c, 82)は<註53>カトゥマンドゥのAm#rtaanandaがいかなる資料に基づいてBuddhacarita第14章から第17章までの付加部分を作ったのか調査して、それが主にLalitavistara とMahaavastuに基づくものであることを指摘した。そののち、さらにこの付加部分は、Haribha#t#ta-jaatakamaalaa第35章の%Saakyasi#mha-jaatakaからも借用されていることをHahn(1985c)が明らかにし、このHahnの発見は外薗(1987)によって紹介された<註54>。%Saakyasi#mha-jaatakaは、前半部がBuddhacarita、後半部がLalitavistaraに依拠して作られている。
Lalitavistaraのテキストを再校訂し和訳する仕事が、外薗幸一によってついに始められた。外薗(1991, 92)はLalitavistara の第1章と第2章について、再校訂を行ったテキストと写本の異読、ならびに和訳をあげた<註55>。外薗がこれらの章を再校訂するにあたり用いた写本は、Lefmannが用いた写本であるBa、H、C写本のほかに、Bendall Add. 1370 と東大写本6本全部、さらにNGMPPのA123/2, A228/11, B99/4, B99/5, B100/3の5本である。
Tib.: Toh 95, Ota 763, N(K) 83, C 736, L 96, sTog 35
Jinamitra, Daana%siila, Munivarma, Ye-%ses sde 訳
Ch.:大正 186. 仏説普曜経(八巻) 西晋 竺法護 訳
大正 187. 方広大荘厳経(十二巻) 唐 地婆訶羅 訳
Skt.MSS.:
(注)[ ]の中の英字は、Lefmannが校訂に使った写本に付けた記号を示す。
Filliozat 97-98 [→Ba],99-100 [→Bb];
Thomas 7784(1),7800 [→La],7801 [→Lb],7802,7804,7805,7806;
Cowell・Eggeling 7 [→A];
SA 1 [→S],14(8);
Winternitz・Keith 1425 [→H];
Bendall Add.918 [→C],1370;
Bir 134;
BSP ca9(3-9) = NGMPP-Card B99/5;
BSP t#r699(3-10) = NGMPP-Card A228/4 = A124/4; BSP t#r278(3-11) = NGMPP-Card B100/3;
BSP t#r255(3-12) = NGMPP-Card A123/2;
BSP t#r240(3-13) = NGMPP-Card A940/9;
BSP ca785(3-15) = NGMPP-Card B99/4;
BauDV 180(85) = NGMPP-Card A122/12;
BauDV 54(86) = NGMPP-Card A844/9, A122/13-123/1;
BauDV 53(66) = NGMPP-Card A131/16 [only Ch. 27];
Matsunami 189-I,334,335,336,337,338,339;
Durbar III.255,278;
SBLN 36;
Takaoka A68, A72, CA33-2, CA33-3, CA46, CH309, CH485, CH490, DH314, GH5, KA42, KH1;
ASB p.253;
NGMPP-Card A123/4(= ca1546)[137 fols.];
Lienhard 67 [Newaarii];
Aa%saa 2074
NepalのNational ArchivesのB. D. Dangol博士は、親切にも筆者に NGMPP の Private Collectionに含まれる写本情報を手紙で知らせて下さった。その写本情報は、その後 Kathmandu の Nepal Research Center に筆者が訪れた際に、Private Collection のNGMPP-Card により、若干修正するを得た。以下が、そのPrivate Collection に属する Lv.の写本の表である。
List of Lalitavistara
Reel No. Folio Date (Nepal Sa#mvat =N.S.)
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
1. D42/2 289 787 N.S.
2. D52/3 254 933 N.S
3. D55/2 243
4. D57/5 222
5. D60/5 272
6. D72/6 109
7. E229/3 211
8.E274/9 316
9.E274/11 136
10.E300/9 41
11.E448/16 368
+449/1
12.E610/6 364
+611/1
13.E625/16 322 1017 N.S.
14.E734/2 279
15.G1/7 1
16.H111/10 422 753 N.S.
+112/1
17.D51/1 57-140 1078 N.S.
18.E12/7 40 1074 N.S.
19.E282/13 18
20.E461/12 21
21.H28/3 60
22.H127/17 21
23.E59/8 380-516
24.E1048/2 322 897 N.S.
25.E1110/20 69
26.E1772/12 493 1063 N.S.
27.E1712/3 259 781 N.S.
28.E1202/20 232 930 N.S.
+1203/1
29.E1309/1 289 784 N.S.
30.E1921/8 302 975 N.S.
31.E2061/4 45
32.H378/7 202 915 N.S.
*
以下 Newaarii version of Lv.
(1) D64/14 460
(2) D48/2 524
(3) D51/1 fol.57-140 1078 N.S.
(4) E12/7 40 1074 N.S.
(5) E282/13 18
(6) E461/12 21
(7) H28/3 60
(8) H127/17 21
(9) E1048/2 322 897 N.S.
(10) E1772/12 493 1063 N.S.
**
Laghu-Lalitavistara
Lalitavistaraの抄本である。Schubring(1954)の研究があることは上で述べた。
Skt.MSS.:
Winternitz・Keith 1406.2; Thomas 7803 ('The work is nothing more than a table of contents to the Lalitavistara.')
**
Padya-Lalitavistara
(= Lalitavistare Tathaagatajanmaavadaanamaalaa
or Sugatajanmaratnaavadaanamaalaa)
黒田(1951, 58)は<註1>Lalitavistaraを改作した韻文のavadaanamaalaaであるPadya-Lalitavistaraを初めて研究し、榊博士将来の京大写本(Goshima・Noguchi 66)に基づき、8・10・ 11章のローマナイズを発表した。さらに黒田(1960)は<註2>第5章のローマナイズも発表した。この京大写本には12章までしかないが、完本のヘムラージ写本(BauDV 51(87))には、37章まである。
Padya-Lalitavistaraの章名はLalitavistaraと大きく違って、次の通りである:
1. Tu#sitabhavanaavataara#na-sarvalokaabhisa#mbodhanaabhinandana
2. Maanavajanmaavataara#na-samutsaaha-parivarta
3. %Saakyakula-samutpatti-prasiddha
4. Kauleya-samutpatti-maayaadeviivivaaha
5. Dharmaalokamukhopade%sanaa
6. Tu#sita-pracalana-parivarta
7. Garvaavakraanti-parivarta
8. Bodhisattva-janma-parivarta
9. %Suddhaavaasika-devaputraasitar#si-sa#mdar%sana-parivarta
10. Kule%svariidevataa-sa#mdar%sana-parivarta
11. Bodhisattvaanna-praa%sana-parivarta
12. Lipi%saalaabhigamana-parivarta
13. Graamaantikak#r#si-sa#mdar%sana-parivarta
14. %Silpakalaa-sarvavidyaa-sa#mdar%sana-ya%sodharaa-
striiratna-samaagama-parivarta
15. Anta#hpuraabhirati-bodhisattva-ni#skrama#na-sa#mcodanaa-
parivarta
16. Svapna-parivarta
17. Jiir#narogi-gataasudar%sana-ratiraaga-vighaatanaa
18. Pravrajyaabhigamana-praarthanaabhisa#mbodhana
19. Niryaa#naaj%naa-sa#mpraarthanaa-parivarta
20. Anta#hpuraavalokanaabhini#skrama#notsaaha-parivarta
21. Puraabhini#skrama#na-parivarta
22. Chandaka-nivartana-sarvaanta#hpurikaa%soka-vinodana-
kanthka-svargaabhirohana-parivarta
23. Mahar#si-tapovrata-sa#mdar%sana-parivarta
24. Bodhisattvaanve#sa#naabhibodhana-parivarta
25. Magadhaadhipatibimbisaara-n#rpaabhisa#mgati-parivarta
26. Du#skara[vrata]caryaa-parivarta
27. Bodhisattva-vrataabhipaalana-sujaataa-bhojanaahara#na-parivarta
28. Bodhisattva-bodhima#n#da-gamana-parivarta
29. Bodhisattva-sarvaloka-puujaabhigamana-mahaavyuuha-parivarta
30. Maaradhar#sa#na-parivarta
31. Abhisambodhana-parivarta
32. Sa#mstava-parivarta
33. Trapu#sabhallika-va#nik-sa#mgha-samaagama-parivarta
34. Adhye#sa#naa-parivarta
35. Dharmacakrapravartana-parivarta
36. Sambuddhajalpa-mahaayaanasuutrabhaa#sa#na-%srava#naadi-
pu#nyaprasa#m%saa-parivarta
37. A%sokabodhicaryaa-vratadhaara#na-parivarta
Skt. MSS.:
BSP ca266(3-14) = NGMPP-Card B100/2 [25 chs.]; BauDV 51(87) = NGMPP-Card A123/5 [37 chs.]; BauDV, 294(88) = NGMPP-Card A123/3 [21 chs.]; Goshima・Noguchi 66 [12chs.]; %Saastrii 37 [37 chs.]; NGMPP-Card D43/4-44/1 [35 chs.]<註3>, E1321/2 [35 chs.]
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