Mahajjaatakamaalaaの写本は、M. Hahnが調べた5本のうち、その中の1写本B(Kathmandu, National Archives 所蔵)がarchetype写本であり、残りの写本は、その1写本からのコピーである。M. Hahn(1985a)は<註1>、このarchetype写本Bをベースに、さらに写本P(Paris, Institut de la civilisation indienne 所蔵)と、写本T(東京大学所蔵)の異読をも確か めて、Gudrun B%uhnemannの助力を得て、Mahajjaatakamaalaa全部のテキストを校訂し、出版した。校訂に使 われなかった2写本は写本b(Kathmandu, National Archives 所蔵)と写本E(Kathmandu, 個人蔵)である。
Mahajjaatakamaalaaの写本情報ならびに内容は、Hahnの校訂本の序文から、詳しく知られる。
archetype写本であるBには、途中4箇所で写本のかなりの葉の欠落があり、そのためMahajjaatakamaalaaは本来335葉、全52章、約11000詩節から成っていたものが、欠落で計56葉、約1680詩節が欠けてしまい、現在知り得る姿では、計50章、9277詩節の作品になっている<註2>。これらの欠落によって、現在の第47章の前(と後?)の場所に在ったであろう2つの章が完全に失われ、また5つの章が部分的に不完全なものになっている。B写本に欠けている部分は、他の4写本でも欠けている。しかし、特に47章の欠落部分については、HahnはBendall Add.1473(%Sa%sajaatakaavadaana)の写本を用いて、失われた原文を再生している<註3>。
Mahajjaatakamaalaaは、他のavadaanamaalaa文献と同じように、詩形改稿本として、基となった種本をもつ。現存するMahajjaatakamaalaaの全50章の種本は複数であるが、第10章〜42章の中核部分は、悲華経 Karu#naapu#n#dariikasuutra(大悲経 Mahaakaru#naapu#n#dariikasuutraとは別の経)を種本として詩形改稿を行っている。また中核部分を取り囲んでいる枠の部分のうち、第1章〜第3章は導入部、第50章は終結部であるが、残りの章はほとんど著名な仏教詩人たちの芸術的作品を種本にしており、第5章はAarya%suuraのJaatakamaalaa、第6章はAarya%suuraのSubhaa#sitaratnakara#n#dakakathaa、第7章と第8章はGopadattaのJaatakamaalaa、第43〜第48章はAarya%suuraとGopadattaとHaribha#t#taのJaatakamaalaaからの詩形改稿であるらしい。第49章は詩人CandragominによってLokaanandaとして戯曲化さ れたことで有名な、Ma#nicuu#da王子の伝説の、未知の古いソースに基づく詩形改稿であ る。
Hahnのテキスト出版に先立って、Mahajjaatakamaalaaのいくつかの論文がある。
まずS. L+evi(1912)は<註4>、Mahajjaatakamaalaaの第40章Ambaracakravartin がKaru#naapu#n#dariikasuutraの梵本からの詩形改稿本であることを、原文をあげて指摘した。
またE.Lang(1912)の論文は<註5>、33歳で山で遭難死する前に書き残した遺稿を、師のS. L+eviが発表したものであるが、Mahajjaatakamaalaaに初めて本格的に取り組もうとした研究である。 論文の第1部では写本Pに基づいて、Mahajjaatakamaalaaの全体の内容報告を行う。次いで第2部で、第4章 B#rhaddyutiと第5章 Daasajanmaの原文と仏訳をあげている。Langは第5章にお いて、Aarya%suuraのJaatakamaalaaからの詩節の借用を多く見出した。
Handurukande(1976)は<註6>、Ma#nicuu#daavadaanaの4種の伝本の原典研究の第4部として、Mahajjaatakamaalaaの第49章Ma#nicuu#daのテキストを、写本P・写本Tと、National Archivesの1写本に基づいて初めて校訂し、内容梗概を報告した。
Handurukande(1984)は<註7>、Mahajjaatakamaalaaの第45章Sarva#mdadaのテキストを、Mahajjaatakamaalaaの3写本(PとTとNational Archivesの1写本)に基づいて、校訂した。Mahajjaatakamaalaaのこの章はGopadattaのJaatakamaalaa中のSarva#mdada-jaatakaの詩形改稿本であり、元本のJaatakamaalaaの詩節をかなり借用している。この元本のSarva#mdada-jaatakaを、Avadaanasaarasamuccayaの1 写本とJaatakamaalaavadaanasuutraの3写本を用いて校訂するに際して、借用された詩節の異読を得るために、同時にMahajjaatakamaalaaの第45章Sarva#mdadaの校訂が行われたのである 。
Skt.MSS.:
Matsunami 285 [→MS. T];
BSP t#r700(2-150) = NGMPP B98/15 = A1329/20-1330/1 [→MS. A];
BSP t#r640(2-151) = NGMPP B98/16 [→MS. B’];
NGMPP E611/2 [→MS. E];
Bir 142;
Takaoka A71 [407 fols.]<註8>;
Paris, Institut de la civilisation indienne所蔵[→MS. P];
NGMPP-Card D43/2, E611/2
NGMPP B98/16の写本 B#rhajjaatakamaalaaは、M. Hahnの調査によれば、Mahajjaatakamaalaaの写本Bから作られた写本である。
MSS.of Parts:
Ambaracakravartisarva#mdadaavadaana [Ch. 40]: BSP t#r658(1-26) = NGMPP-Card A921/11
Sarva#mdadaavadaana (Jaatakamaalaantargata) [Ch. 45]: BSP t#r625(3-163); Bir 224(未同定)
%Sa%sajaatakaavadaana [Ch. 47]: Bendall Add.1473 <註9>
註
1)M. Hahn(1985a): Der grosse Legendenkranz (Mahajjaatakamaalaa). Eine mittelalterliche buddhistische Legendensammlung aus Nepal. Nach Vorarbeiten von Gudrun B%uhnemann und Michael Hahn, herausgegeben und eingeleitet von M. Hahn, <Asiatische Forschungen, Bd.88>, Wiesbaden.
2) 第46章の直後の欠落には1章あるいは2章が含まれていたと推定されるため、現在の第47章は本来は第48章か第49章であったことになる。
3) ただしHahnによれば、Bendall Add.1473の%Sa%sajaatakaavadaana (16 fols.) が、Mahajjaatakamaalaaの第47章と全く文面が同一であったかは疑わしい。
4) Sylvain L+evi(1912): Une l+egende du Karu#naa-pu#n#dariika en langue tokharienne, Festschrift W. Thomsen, pp.155-165.[再録:M+emorial Sylvain L+evi, 1937, pp.275-283] L+eviはここで何故かMahajjaatakamaalaaをB#rhajjaatakamaalaaと誤って呼んでいる。
5) Emmanuel Lang(1912): La Mahajjaatakamaalaa, Journal Asiatique, 10e s+er., 19, pp.511-550.
6) Ratna Handurukande(1976): The Ma#nicuu#da Study, 『佛教研究』、第5号、309-168頁。
7) R.Handurukande(1984): Five Buddhist Legends in the Campuu Style, from a collection names Avadaanasaarasamuccaya, <Indica et Tibetica, Bd.4>, Bonn.
8) Takaoka KA36に 313葉のV#rhatjaatakamaalaaという写本があるが、Mahajjaatakamaalaaと同一の作品であるかどうかは不明。
9) この写本はMahajjaatakamaalaaと文面が合致するが、Mahajjaatakamaalaaの一部であったかどうかは不明。
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