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第八回『中村元賞』受賞挨拶
                  岡野 潔

2000年3月29日、東京六本木の国際文化会館における受賞式の挨拶

中村元という偉大な人格・偉大な名前と結びついた賞『中村元賞』をいただけることに感謝しております。中村先生の学問の特徴は開放の精神にあると思います。御存知のように、中村先生はパーリ仏典をわかりやすい日常的な言葉で訳されています。また先生の仏教語大辞典もわかりやすい現代日本語を用いて書かれており、仏教学という漢訳語に支配されていた分野を仏教学者以外にも近づけるものにしました。このような中村先生の学問の特徴である言葉のわかりやすさは、開放の精神、つまり他の分野と共通語で話し合おう、同じ土俵に立とうという、開かれた態度の表れであると思います。
私は留学していた時、日本の仏教学者が書いた日本語の仏教学の論文をドイツ語に直してくれないかと頼まれまして、とりかかったことがあります。その時、何本かの日本語の論文を直訳する試みは途中で放り出さざるを得ませんでした。あまりにも漢訳語を多用し、漢訳語の定義が曖昧なままで議論に入ってゆくために、幾つかの箇所が全く翻訳不可能なのです。レジュメをつくることしか出来ませんでした。その時、中村先生の書かれた論文には西洋近代語に翻訳不可能な文章はまったく出てこないことに気づきました。
また、そのような経験から、日本と西洋では仏教学の根底にあるものが違うのではないか、と思いました。英語・ドイツ語・フランス語で書かれた仏教学の論文はわかりやすい言葉で書かれているのに、日本語で書かれた仏教学の論文は概して晦渋であり、中村先生が書かれたような翻訳が容易な論文は稀です。
欧米では、もともとインド学・仏教学はアジア学の中で育ち、その学問分野の一員として出発したために、アジア学の他の分野と共通の土台の上に立っているという意識があるようです。他の文化領域と同じ土俵の上にあるという暗黙の了解があり、他の文化領域の専門家とインド学の成果はわかちあうものでなくてはならないという配慮の上で、出来るだけわかりやすい言葉で論文が書かれているように思います。日本は寺院から出発した古い仏教学の歴史があり、僧侶が僧侶だけに分かる言葉で話す態度が伝統的に残っているために、晦渋になりがちなのだろうと思います。
中村先生はインド学から出発されまして、インド学の枠を越えようとつねに努力をなされました。それは学者が狭い自己の専門領域だけに閉じこもろうとする態度とは正反対の態度です。この中村先生の<開かれた学>への態度は、特に現在のインド学の方法に反省の機会を与えます。
中村先生の努力にもかかわらず、インド古典文献学がきわめて特殊な学問であるように思われる状況が長く続いておりますが、このような状況を打破するには、中村先生の示された方角にさらに進むしかありません。今の閉鎖的なあり方が続くなら、いつか諸大学のインド文献学の講座はつぶされるでありましょう。インド文献学の講座がつぶされる時、他の隣接する学、つまり宗教学や文化人類学や神話学などから、まったく惜しむ声がでないような状況、インド文献学という領域の諸成果に無関心な状況はどうして生まれたのでしょうか。それはインド学が、他の隣接する学にとって、あってもなくてもかまわないような孤立した学問、僧侶の学問であることに満足していたことに起因します。隣接する他の学問領域と積極的に融合しようとしない状況では将来本当にインド文献学は死ぬでしょう。今求められているのは、宗教学などの隣接する諸学と共に同じ土俵に立つ学問としてのインド学です。インド学の成果は他の文化領域の専門家とわかちあうものでなくてはなりません。インド学を文献学でおわらせずに、それを文明学・文化学の広い土俵、他の隣接する諸学との共通の土俵の上に置かなくてはなりません。宗教学や人類学にドアを開いたかたちで、文献学を深めていかなくてはならないのです。この進むべき進路を、中村元先生は示されました。私たち、中村先生に後続するインド学の若い世代は、中村先生の開放の精神に学びつつ、インド学を訓詁注釈の学にしてしまわないよう、インド学を滅ぼさないようにしなくてはなりません。閉鎖した学問の中にあるのは緩慢な死だけです。中村先生が亡くなられた今、このことに深く思いをいたさなくてはなりません。
中村元賞という賞は、まさに比較宗教・比較文化学のあらゆる方角に開かれた性質をもっています。このような賞を受けることを大変光栄であります。ただ前回までの中村元章の受賞者は中村先生に御挨拶を申し上げることができました。今年からはそれができません。それが悲しくてなりません。

(以上の文章は『宝積』第17号(平成12年発行)に掲載された)