戻る


(1)私がこの論文で立世が正量部所属であるという積極的な論証を試みることができるためには、MSKと文献Xという新しい資料の出現が必要であったわけであるが、しかし、立世が少なくとも有部の論書ではないという消極的な論証は、すでに幾人かの学者によってなされている。

    (a) 惟尾辧匡 (1933), pp. 542-543

    (b) 渡辺楳雄 (1933), pp. 129-134

    (c) Lin, Li-Kouang 林藜光 (1949), pp. 144-146

    (d) Dietz, Siglinde (1989d), pp. 496-497

私が気づいたものだけをあげたが、この他にも、立世が有部系の論書ではないことに気づいた学者は、探せば多くみつかるであろう。一方、立世が有部所属であると主張する学者もなかったわけではない。例えば、赤沼智善 (1939c) p. 33や高楠順次郎 (1905), p. 143の意見。また、立世のパーリ版であるLPについて、H. Bechert(1985), p. 47 はかなりの確信を【八四】もってその源泉の部派を有部であると述べているが、私的な感想にとどまり、何らの論拠も示していない。

(2)Paul Mus: La Lumi#ere sur les Six Voies, Paris, 1939. pp. 124-130.

(3)Eug#ene Denis: La Lokapa%n%natti et les id+ees cosmologiques du bouddhisme ancien, Lille, 1977. 2 vols.

(4)立世の漢訳テキストに混乱があるのは大三災品の、地上世界成立の場面であり、そのまま読めば全く意味がとれない。しかし正量部の世界生成の出来事の順序を知っていれば、簡単に修正できる。MSKは次の順序で物語る:ヤーマ天の想起(2.2.1〜2)→風輪の形成(2.2.3)→水輪の形成(2.2.4)→大地の形成(2.2.7)→風によるスメール山や海や池など大地の地形の形成(2.2.8〜12)→一切諸宝の形成・出現(2.2.13)→大雨による海の形成(2.2.14)→三十三天や四大王天の誕生(2.3.6〜21)→人間の形成(2.4.1)。この順序は、LP(pp. 201-204 )でも確かめられる。LPはMSK・文献Xとこれらの出来事の順序そのものが一致する(これもLPが正量部に属する根拠となる)。それらに従って、立世のテキストの混乱を修正するには、224c13の「境水」から225a5「鐵圍山」までのテキストを、225a25の「究竟」と「起成」の間に挿入して読めばよい。

(5)Mahaasa#mvartaniikathaaは、Mahaa-vivartanii-sa#mvartanii-kathaa を短縮した名称であると思われ、意味上はmahaa-vivarta-saa#mvarta-kathaaと表現するのと同じであると思われる。それ故に『世界の<生成と>破壊の大いなる法話』と訳した。より原語に忠実に訳せば『世界の<展開生成運動期と>退転滅却期の大いなる法話』となる。mahaasa#mvartaniiを大三災と訳すべきではないであろう。

(6)Kiyoshi Okano: Sarvarak#sitas Mahaasa#mvartaniikathaa, Swisttal-Odendorf, 1998. Indica et Tibetica, Bd. 33.

(7)この引用文の全文の校訂テキストと独訳は私の博士論文に含まれている。私がこの文献Xの存在を知ったのは印仏研の一九九四年の発表会場における並川孝儀氏の御指摘のおかげである。氏はP. Skilling (1987) の『有為無為決択』の内【八五】容分析の論文を私に教示された。Skillingの論文は Bhikkhu Paasaadika 先生から頂戴した。------なお、文献XとMSKの前半部分の内容梗概は、拙稿「いかに世界ははじまったか -----インド小乗仏教・正量部の伝える世界起源神話-----」(『文化』第六二巻一・二号、一九九八年)にあるので参照されたい。この論文はインターネットでも閲覧できる(http://member.nifty.ne.jp/OKANOKIYOSHI/)。

(8)MSK 1.1.2 偈にサルヴァラクシタは「人々の益のために、彼(仏陀)によって語られたる世界の成立と破壊の法話(vivarta-sa#mvarta-kathaaに従いて物語られる。なぜなら<それが>明示されるべき時であるにもかかわらず、なお沈黙に依拠している者は、最高の正路に行くことがないから」と、MSK作成の方法と動機を説明している。仏陀が語った法話を源泉資料として、それに従って物語る(anuva#nyate)のがこの作品であるという。1.1.4偈でも、この作品は(聖典の)根拠(nidaana )つまり源泉資料を有すると作者は断っている。またMSKの作品全体の枠構造が仏陀の説法を示唆していることからも、作者がその源泉資料を仏陀が説かれたものと見なしていたことが確認できる。

(9)この部分はP. Skilling (1982) に英訳された。

(10)私のMSKの校訂本の5.2.7の偈への註をみよ。

(11)原文の「天地」を「大地」と読む。

(12)LP I, 197 の原文は:aya#m pathavii santattaa sampajjalitaa sajotibhuutaa he#t#thima#m aapokhandha#m pariyaadiyati . seyyathaapi ka#msapaatii aggiihi santattaa sampajjalitaa sajotibhuutaa paritta#m udaka#m nikkhitta#m, ta#m udaka#m khippam eva pariyaadiyeyya, evameva#m aya#m pathavii santattaa sampajjalitaa sajotibhuutaa he#t#thima#m aapokhandha#m pariyaadiyati.

(13)MSK 5.3.5 の原文は次の通り:

【八六】
*alpodaka#m ka#msamayiiva paatrii
taptaa *dharaadho 'mbu-nidhi#m pibantii /
na *t#rptim aayaasyati yaavad asya
na sarvathaa *peya-*nipaanam aaptam //

(14)LPの原文は:viisa#m *antarakappaa loko viva#t#tho ti#t#hati. *a#t#thaa avanikkhittaa ekaadasaa avasesaa. navamo hoti kappa#t#tho. tassa visesena satta-vassa-sataanni sesaani.

(15)三度(小三災のそれぞれに)同じ記述がある:216b, 218b, 220a-b。

(16)正量部文献の劫末の人類滅亡の記述は、他部派のものよりもかなり熱がこもっているのであるが、多少気づいた点をしるすと、劫の終わりの人類滅亡の時に、夜叉鬼(MSKによればyak#sa, LPによればamanu#sya) が人類の種の維持のために、残された善人たちを守護するというのは正量部の文献のみに見られる伝承である。典拠:MSK 4.3.22;文献X §168;立世 216b12-16;LP I, 180, 189。-------また、劫末にピシャーチャ鬼がもたらす病気に攻撃されて、人々は動物を屠る供儀(バラモン教の犠牲祭)にすがり、それによって災いをますます増大させるという記述も、正量部特有のものである。典拠:MSK 4.3.10;文献X §156;立世 216a4-7;LP I, 156。

(17)文献Xの§53にも部分的だが類似する説明がある。

(18)成劫の第一劫において器世間が、残りの十九劫において有情世間が成立するのが有部の教義だが、MSKと文献Xにおいてはそうではない。正量部の教義においては、器世間の成立と有情世間の成立は別々の時にではなく、同時進行のかたちで、平行して進行する。これはアビダルマ形成の時代に初めて確立された意見であり、有部のアビダルマ教学と正量部のアビダルマ教学の違いを意味する。

【八七】(19)なお立世(225c15)とLP( I, 205)で「成劫が終わって、六十小劫が過ぎ去った」というのは、伝統的に、壊劫から計算を始めるならわしだからである。壊劫と空劫と成劫で合計六十小劫である。

(20)倶舎論世間品、第九三偈の釈や大毘婆沙論, 大正二七巻, 691bを見よ。

(21)立世の成立年代については私の博士論文の序論 (Einleitung) の第四節を見よ。

(22)また、立世の最終章の冒頭に「大三災品第二十五火災品第一」とあることから、立世の失われた部分のテキストには、水災品第二と、風災品第三があったことが推測できるのであるが、このことは、LPから確かめられる。すなわち、LPは火災の記述の後、水災の記述(LP, I, 216-218)と風災の記述(LP, I, 218-220)が続いている。

(23)起世経 348b、世記経 136b、起世因本経 403b。

(24)立世の云何品第二十(198b)と寿量品第二十二(206c)と小三災品第二十四(215b)。

(25)LPでは奇妙なことに、この階位を示す箇所で立世と一致しないが、この不一致はLPのパーリ語への翻訳での編集者の改変によるものと思われる。LPの伝承は立世の如く作品全体にわたる一貫性がなく、場所によって意見が異なる。すなわち、立世の云何品第二十(198b)に対応するLP I, 64の箇所では上からブラフマ・カーイカ天→ブラフマ・パリシャッジャ天→ ブラフマ・プローヒタ天 の順序、立世の寿量品第二十二(206c)に対応するLP I, 90-91 の箇所では大梵天→ブラフマ・プローヒタ天→ブラフマ・カーイカ天の順序を示す。このような記述の一貫性のなさこそ、LPのテキストがビルマの編集者によって恣意的に改変された証拠である。小三災品第二十四(215b)にあるブラフマ世界の階位の記述はLPの対応箇所では削られている。LPのテキストが恣意的に改変された事は四大陸の形状の説明箇所(I, 23)でも明らかな証拠が見つかる。

(26)並川はブラフマ・パーリシャドヤを梵衆天と訳しているが、これは誤解を招く。梵衆天は伝統的にブラフマカーイ【八八】カの訳である。平川彰編の倶舎論索引、第1巻二七三頁をみると、真諦も倶舎論でブラフマカーイカを梵衆天と訳している。

(27)なお、並川 (1992b, pp. 31-32) は、『有為無為決択』での正量部伝承による神々の階位のリストをまとめているが、このリストには、立世に基づいて、第四禅天に「無想天」を補うべきであると考える。並川は、有部の色界十七種のリストを念頭においているため、「無想天」を省いてしまったのである。有部のリストには、「無想天」はない。しかし、正量部が「無想天」を認めていた証拠に、「無想天」の名は、並川自身が訳した正量部テキストの中に出てくる(並川(1994a) , p. 908をみよ)。並川 (1992b) が訳した(p. 35)テキストは、諸天の名前を全部あげているのではなく、天の各グループの、ランクの一番上の天の名前で代表させているにすぎないことに注意すべきである。正量部は色界に十八種の天を認めることがわかる。MSKと文献Xには説かれていないけれども。

(28)漢訳テキストには混乱があるため、両箇所は分断している。連続して読め。

(29)正量部伝承でも寿命減少の時は百年に十歳ずつ減少してゆく。この減少のしかたは有部と一致する。

(30)倶舎論世間品91〜92偈の釈や、大毘婆沙論, 大正二七巻, 700cをみよ。

(31)La Vall+ee Poussin (1926) p. 152 の註3に指摘された。

(32)なおこの記事がMSKにはあるのに文献Xにはないということは、サルヴァラクシタが自ら補った記事であるということを意味するが、特にここではサルヴァラクシタが正量部の文献として、立世の原本を直接利用した可能性は否定できない。このようにMSKには直接の源泉であるはずの文献をとびこえて、直接的に立世から利用したと思われる記述が、他にもいくつか見出されることは、すでに上述した。

【八九】(33)MSK2.2.12の詩節の原文をあげると:

bahi#s#tha-%siitaata ito 'ntya-saagara#m
tayor vidik#sv eva vidhaaya sa+ngamam /
di%sa%s catasro 'nunayaad ivaakarot
savi#s#taraa dviipa-catu#s#taya#m s#rjan // [12]

(34)反論がありうるとすれば、それは立世が正量部ではなく犢子部所属の可能性も否定できないということであろう。しかし立世の翻訳年代が6世紀であることや、翻訳者が真諦であることを考えると、正量部所属であると見なした方が本当らしいし、また正量部が犢子部から分派した後も両部派は親密な関係を保ったようであるので、教学上の後代の変化はともかく聖典の伝承に関してはあまり区別する必要はないとも考えられる。立世は正量部が犢子部であった時代から形成されてきた文献なので、正確にいえば正量部・犢子部共通の所属と呼ぶべきかもしれない。

引用文献

邦文:

並川孝儀(1992a):「正量部の非福説」、『印度学仏教学研究』 40-2, pp. 1-11.

並川孝儀(1992b):「正量部の不動業説」、『佛教大学文学部論集』77, pp. 25-40.

並川孝儀 (1994a): 「正量部の煩悩説 ------『有為無為決択』第21章「聖諦決択」より見て」、『印度学仏教学研究』 42-2, pp. 910-905.

赤沼智善 (1939c)『佛教経典史論』(復刻版:法蔵館、1981)

【九〇】小野玄妙(1933): 『佛教神話』、大東出版社

椎尾辨匡 (1933): 佛教経典概説、東京。(新版:三康文化研究所、1971)

渡辺楳雄 (1933): 「立世阿毘曇論解題」、『国訳一切経 論集部一』、pp. 113-347.

欧文:

Bechert, Heinz (1985): Zur Schulzugeh%origkeit von Werken der Hiinayaana-Literatur. I: 1985, G%ottingen.

Dietz, Siglinde (1989d): "Die Verschiedenen Versionen der Lokaprajソapti", in: Schuler, Einar von, Hrsg.: ZDMG, Suppl. VII. XXIII. Deutscher Orientalistentag vom 16. bis 20. September 1985 in W%urzburg. Stuttgart. S. 489-497.

Lin, Li-Kouang 林藜光 (1949): L'Aide-m+emoire de la vraie Loi (Saddharma-sm#rtyupasthaana-suutra), Paris.

La Vall+ee Poussin, L. de (1926): L'Abhidharmako%sa de Vasubandhu, troisi#eme chapitre. Bruxelles.

Skilling, Peter (1982): "History and Tenets of the Saammatiiya School", Linh-So'n --- Publication d'+etudes bouddhologiques, 19, pp. 38-52.

Skilling, Peter (1987) : "The Sa#msk#rtaasa#msk#rta-vini%scaya by Da%sabala%sriimitra", Buddhist Studies Review, 4.1, pp. 3-23.

Takakusu, Junjiro 高楠順次郎 (1905): "The Abhidharma Literature of the Sarvaastivaadins", JPTS 1905, pp. 67-146.

なお最後に感謝をのべたい。ジークリンデ・ディーツ博士 (Dr. Siglinde Dietz )は、MSKについての私の博士論文に丹念に目を通され、私がゲッティンゲンを訪問した際、博士は私に多くの訂正点を提案され、特に私が博士論文の序文に書いた立世が正量部である論拠はまだ十分ではない、と忠告された。そこでもう一度詳細に調べ直す必要があると感じたのが、この【九一】論文を纏めるきっかけとなった。比丘パーサーディカ (Dr. Bhikkhu Paasaadika) はマールブルクで2学期の間、ローカパンニャッティのテキストを私のために一対一で講読して下さった。比丘はさらに授業の外にヘッセンのアロルゼンの家で2度にわたり早朝から夕方までかけて、私と一緒に立世阿毘曇論のテキストを調べ、ドイツ語訳を手伝って下さった。比丘によるマールブルク大学での授業を実現させて下さったのはミヒャエル・ハーン博士 (Dr. Michael Hahn) の親切心である。比丘パーサーディカ博士とハーン教授、ならびにディーツ博士に心から感謝します。

また、本紀要に論文を掲載して頂けたのは、山崎守一博士(仙台電波工業高等専門学校教授)の御推挙による。博士の御好意に深く感謝いたします。


以上が雑誌に掲載された部分です。

論文の英文タイトル:Lishiapitanlun(*Lokapraj%nyapty-abhidharma%saastra) as a Cosmological Works of the Saa#mmitiiya School.


正誤表

p. 56
(誤)abhidharma-%saatra  → (正)abhidharma-%saastra

p. 84, note 6
(誤)1998  → (正)1999


論文発表後の追加メモ:

この論文の第9節で、私は三法度論と四阿含暮抄解を犢子部所属と断定していますが、この断定の根拠を示す註をつけるのを忘れました。三法度論と四阿含暮抄解を研究して、それらが犢子部の論書であることを明らかにしたのはアンドレ・バローの弟子であったThich Thien Chau博士です。彼が三法度論と四阿含暮抄解について発表した業績に次のものがあります。

Thien Chau, Thich (1984): "The Literature of the Pudgalavaadins", Journal of the International Association of Buddhist Studies, 7, Number 1, pp. 7-16.

Thien Chau, Thich (1987): "Les R+eponses des Pudgalavaadin aux Critiques des +Ecoles Bouddhiques", Journal of the International Association of Buddhist Studies, 10, Number 1, pp. 33-53.

Thien Chau, Bhikshu Thich (1997): The Literature of the Personalists (Pudgalavaadins) of early Buddhism, transl. by Sara Boin-Webb, Vietnam Buddhist Research Institute, Ho Chi Minh City.

つまり、私はこのすぐれたベトナム人学者の業績にもとづいて、三法度論と四阿含暮抄解が犢子部に属すると断言したわけでして、日本人学者の中では、それを主張した人は寡聞にして知りません。

本文に戻る