(or Subhaa#sitamahaaratnamaalaa, or Subhaa#sitamahaaratnaavadaanamaalaa)
全26章から成るRatnaavadaanatattvaのテキストは、上で述べたように、高畠(1954)により、Ratnaavadaanamaalaaの一部として、出版された。
Ratnaavadaanatattvaは、上記の高畠本テキストが用いた京大写本A'(Goshima・Noguchi 87)のほかに、もう1本、写本が存在している。BSPカタログにある、Subhaa#sitamahaaratnaavadaanamaalaaという作品である。この新しい写本は、Avadaana%satakaの詩形改稿本として、極めて注 目すべき重要さをもつ。次に挙げる拙稿「新写本Subhaa#sitamahaaratnaavadaanamaalaaの価値について」を見られたい。
高畠によるRatnaavadaanatattvaの26章の校訂は、1本きりの京大写本に基づいてなされたため、 将来はこのBSPの報告する新写本と、対校がなされる必要がある。また、新写本は京大写本よりも15章分多いため、それら15の章のテキストが新たに校訂出版されるべきである。
Skt.MS.:
Goshima・Noguchi 87;
BSP ca952(3-182) = NGMPP-Card B101/3 [364 fols.];
NGMPP-Card E1343/4 [346 fols.]
MSS.of Parts:
Va#nikaavadaana& Gaandharvikaavadaana [Ch. 1, Ch. 2]: Cowell・Eggeling 25
Dhiimatyavadaana [Ch. 25]: Takaoka CA14-4(未同定)
Dhiimatiiparip#rcchaavadaana: Durbar p.160 [= NGMPP A126/3]; Bir 76; BSP t#r290(2-14) = NGMPP-Card A918/6(= pa11)
Vasundharaavratotpattyavadaana [Ch. 26]: SBLN p.269 <註1>; Matsunami 364; Takaoka CA28-1; NGMPP-Card D46/3, E274/12 [Newaarii], E330/37 [Newaarii], E652/2, E1295/4, E1337/19 =E1336/40, E1354/5, E1367/8, H123/3
註
1) 高畠によって、SBLN p.269 VasundharaavratotpattyavadaanaはR.-Tattvaの第26章Vasundharaavadaanaと同一であることが確認されている(高畠テキスト、p.viiを参照) 。
<挿入論文>
新写本Subhaa#sitamahaaratnaavadaanamaalaaの価値について
岡野 潔(1992年1月)
この写本はカトマンドゥのNational Archivesの写本カタログである B#rhatsuuciipatramの第7部「仏教書関係(Bauddha-vi#sayaka)」の第3巻に、出ている。その記載は次の通り:
Subhaa#sitamahaaratnaavadaanamaalaa
Kramaa+nka ca.952 Vi#sayaa+nka 183
著者(空白); ネパール紙; ネワーリー文字; 行数 8; 大きさ 14×3 inch;
詩節(grantha)数 9175; 葉数 368; 完本。
カタログは、脚註において、作品の41の章名を列挙している。しかし脚注に記されている章の順序はでたらめである。また、カタログの記載では「完本」とあるが、実際は第40〜43葉が欠けている。
筆者はそのマイクロフィルムをこの本の校正中に入手するを得た。そのため、この写本にたいし大急ぎで目を通す時間しかもてなかったのであるが、極めて重要な写本であることがわかったので、とりあえずこの写本について知り得たことを大まかに報告することにしたい。
この写本の価値は、次の点にあろう。
この写本は、これまで京大にある一本の写本(Goshima・Noguchi 87)しか知られてい なかった Ratnaavadaanatattva[R.-tat.]の、第2の写本であり、そればかりか京大写 本が全26章なのに対し、新写本は全41章であることから、新たに15の章を得ることができる。さらに、その新たに得られた15の章こそが、Avadaana%sataka [Av%s.]の100の章の詩形改稿本の、欠けていた最後の破片であったことが知られる。従って、この写本の発見によって、Feerの研究以来探し求められてきた、Av%s.の詩形改稿本を組み合わせて 完成体にするための、最後のパーツが発見されたことになる。つまり、Feerの推定どおり、Av%s.の詩形改稿本たるKalpadrumaavadaanamaalaa[K.-dr.]とA%sokaavadaanamaalaa [A%s.-m.]とRatnaavadaanamaalaa[R.-m.]とが、ある完全なひとつの作品を構築する 部分であったことが確認でき、Av%s.の100の章を詩形改稿してゆく作業計画が、実は完 成されていたことを知ることができる。
この点をこれまでのAv%s.の詩形改稿本の研究史を振り返ることによって説明する。
Feerは<註1>、Av%s.と、後代のAv%s.系列のavadaana-maalaa類との関係を初めて指摘した 。彼はK.-dr.と、R.-m.と、A%s-m.(の一部分)の、3つのavadaanamaalaa文献が、Av%s.の詩形改稿本として、互いに密接な関わりをもつことを明らかにし、その対応関係をAv%s.の章との対照表として示した。
K.-dr.と、Av%s.の章の対応は次の通り:
K.-dr.: | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
Av%s.: | 100 | 1 | 11 | 21 | 41 | 51 | 61 | 71 | 81 |
K.-dr.: | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
Av%s.: | 91 | 2 | 12 | 22 | 42 | 52 | 62 | 72 | 82 |
K.-dr.: | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 |
Av%s.: | 92 | 54 | 15 | 33 | 16 |
K.-dr.: | 28 | 29 | 30 |
Av%s.: |
R.-m.(パリ写本)と、Av%s.の章の対応は次の通り:
R.-m.: | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
Av%s.: | 3 | 13 | 23 | 43 | 53 | 63 | 73 |
R.-m.: | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
Av%s.: | 83 | 93 | 4 | 14 | 24 | 44 | 32(?) | 55 | 64 |
R.-m.: | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 |
Av%s.: | 74 | 84 | 94 |
R.-m.: | 28 | 29 | 30 | 31 | 32 | 33 | 34 |
Av%s.: |
A%s-m.と、Av%s.の章の対照は次の通り:
A%s-m.: | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 |
Av%s. : | 10 | 20 | 30 | 50 | 60 | 70 | 80 | 90 |
これらの対照によって、K.-dr.は、10部類(varga)×10話から成るAv%s.の、各部類(varga)の第1と第2の話を、また、R.-m.は、その続きとして、Av%s.の各部類の第3と 第4の話を、また、A%s.-m.(第14章〜21章)は、Av%s.の各部類の第10の話を詩形にした集成であることがわかる。
Feerは対応関係がわかったAv%s.の章を表Aの如くまとめている:
[表A]
Av%s. I II III IV V VI VII VIII IX X (部類)
カ「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「コ
1 11 21 − 41 51 61 71 81 91
K.-dr. 2 12 22 − 42 52 62 72 82 92
<15> <33> <54> <100>
<16>
カ「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「コ
<32?>
R.-m. 3 13 23 − 43 53 63 73 83 93
4 14 24 − 44 64 74 84 94
<55>
カ「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「コ
A%s-m. 10 20 30 − 50 60 70 80 90 −
Av%s.の100章の半分にあたる詩形改稿本が見つかったわけであり、これらの整然とした作品間の規則性から、Feerは、これらのavadaanamaalaaが本来、Av%s.に詩形改稿を行った 或る一つの巨大なavadaanamaalaaの作品の一部であったと推定した。その巨大な作品の名は、K.-dr.写本の末尾のコロフォンに ity a%soka-upaguptasambhaara#ne kalpadrumaavadaanamaalaa samaaptaa //とあることから、A%soka-upagupta-sambhaara#na(アショーカとウパグプタの会談)という名ではなかったかと考えられた<註2>。
その後、全26章から成るRatnaavadaanatattva[R.-tat.]が、高畠(1954)によって、Ratnaavadaanamaalaaの12章の後に接続された形で、校訂出版された。Feerが知り得な かったこのR.-tat.という作品は京大の1写本(Goshima・Noguchi 87)のみで存した。R.-tat.と、Av%s.との対照は、高畠自身によりなされた<註3>。
R.-tat.: | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
Av%s.: | 6 | 17 | 25 | 45 | 78 | 58 | 27 |
R.-tat.: | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
Av%s.: | 28 | 49 | 46 | 57 | 9 | 7 | 8 | 86 |
R.-tat.: | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
Av%s.: | 48 | 97 | 79 | 29 | 87 | 77 |
これを見ると、Av%s.の章を利用してゆく順序が上の3つのavadaanamaalaaのようにはっきり残っておらず、順序がひどく乱れている。しかし、R.-tat.で対応が見つかったAv%s.の章と、上の3つのavadaanamaalaaで対応が見つかったAv%s.の章との間に、重複はなく、R.-tat.は、Av%s.の各部類の第5〜第9の話を詩形にした集成(の一部)であることがわかる。
京大写本R.-tat.において対応関係がわかったAv%s.の章を、上にならって並べ変えてみると次のようになる:
Av%s. I II III IV V VI VII VIII IX X
「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「
25 45
6 17 46 86
R.-tat. 7 27 57 77 87 97
(京大本) 8 28 48 58 78
9 29 49 79
表に空きがめだつ。R.-tat.は、Av%s.の各部類の第5〜第9の話を詩形改稿した集成であるとしても、現在の形ではかなりの脱落があり、不完全な集成であるといえる。R.-tat.がAv%s.の詩形改稿本としてのあるべき章を欠いている作品であること、その不完全性は、Av%s.から詩形改稿がアト・ランダムに行われて途中で放り出されたためであるのか、 それとも本来の完全な形・順序が失われたためであるのか、その点が不明であった。従って、Av%s.の100章を詩形改稿してゆく壮大な作業計画が、現実に完成されていたもの であったのかどうかは京大写本でも、わからなかったのである。
ところが、上で紹介した通り、京大写本1本でしか存在しないと思われていたR.-tat. には、第2の写本が見つかった。それが、新写本Subhaa#sitamahaaratnaavadaanamaalaa であり、その41の章は、京大本の有する26の章名をすべて内に含んでいる。この新写本の末尾のコロフォンを見ると、元々 Subhaa#sitamahaaratnaavadaanamaalaa samaapta#h と記されていたのが、後からわざわざmaalaa の語がtatve と書き替えられて、さらに vasundharaavratakathaa samaapta#h と書き加えられている。つまりSubhaa#sitamahaaratnaavadaanatattva という作品名は、写本の書き直しによって出来たもので、新写本がコピーした原本にはその作品名はなかったのであり、本来の作品名は、Subhaa#sitamahaaratnaavadaanamaalaaであったとみること出来る。新写本の最終章の本文の偈中の1箇所 (fol. 367b) にも、Subhaa#sitamahaaratnamaalaa という名が出ている。また京大本 R.-tat.も、本文の偈中の同じ箇所 (p.479) において、Subhaa#sitamahaaratnamaalaaと呼ばれている。また、京大本の写本では、最初の章の冒頭に、本文中において、Avadaanatatva#m vak#syaami natvaa ta#m %sriighana#m gurum という偈の1文があり、そこにAvadaanatatvaという作品名が見られるのであるが、興味深いことに、新写本にはその文はなく(fol.1b)、しかし写本の欄外において、後からわざわざ、その1文が別のペンで書き加えられているのである。また、新写本の第1章の章末のコロフォン(fol.14a)でも、後か らavadaanatatve と横に書き加えられている。これらの修正が、後から無理に作品名を変更しようと意図していることは明白である。また新写本 Subhaa#sitamahaaratnaavadaanamaalaaは、京大本R.-tat.より古い写本伝承に属する写本であるらしいことがわかる。し かし新写本と、京大本写本との伝承上の関係についての判断は、今後のより綿密な両写本の比較研究を待たなくてはならない。
なお正しい作品名はSubhaa#sitamahaaratnaavadaanamaalaaであるとしても、ここでは 一応、普通のRatnaavadaanamaalaaの写本と区別するため、R.-tat.の新写本と呼ぶことにする。
新写本R.-tat.の有する41章を、京大本R.-tat.の26章と対応せしめ、さらに、高畠(1954)が作った京大本とAv%s.の章の対照表をベースにして、新写本と京大本とAv%s.の章との、三者の対照表を試みに作ってみる:
新写本の章 京大本の同一の章 Av%s.の対応する章
1 Va#dika [ 1] [ 6]Va#dika
2 Gaandharvika [ 2] [17]Stuti
3 Suuk#smatvaco [ 3] [25]Suuk#smatvag
4 Pretika [ 4] [45]Maudgalyaayana
5 %Suka − [56]%Suka
6 Priya − [65]Priya
(写本には第7章がない。章の番号づけを間違えたようである)
8 Kaa%sisundariikanyakaa − [76]Kaa%sikasundarii
9 Ga+ngika − [98]Ga+ngika
10 Kaca#mgalaa [ 5] [78]Kaca#mgalaa
11 Dhanika [ 6] −
12 Raivata [ 7] −
13 Mahi#sa [ 8] [58]Mahi#sa
14 Naavikaa [ 9] [27]Naavikaa
15 Gandhamaadana [10] [28]Gandhamaadana
16 Pretika [11] [49]Putraa
17 Pretiibhuutamaharddhika [12] [46]Uttara
18 Duuta [13] [57]Duuta
19 Tairthika [14] [ 9]Dhuupa
20 Maalika [15] [ 7]Padma
21 Paa%ncaalaraaja [16] [ 8]Pa%ncaala
22 Upapaaduka [17] [86]Aupapaaduka
23 Ya%somitra − [85]Ya%somitra
24 Kapphi#nan#rpa − [88]Kapphi#na
25 Sa#msaarabhik#su − [95]Sa#msaara
26 Guptika − [96]Guptika
27 %Siitaprabha − [26]%Siitaprabha
28 K#semaa [21] [79]K#semaa
29 Aaraamika [22] [29]Nirmala
30 Jaatyandhapretika − [47]Jaatyandhaa
31 %Sre#s#thinaam avadaana − − (?)
32 Anityataasuutra [18] −
33 %Sre#s#thipretiibhuuta [19] [48]%Sre#s#thii
34 Viruupa [20] [97]Viruupa
35 Padmaak#sa − [66]Padmaak#sa
36 Dundubhisvara − [67]Dundubhisvara
37 Ekape%siijaata%satakumaara − [68]Putraa#h
38 Suurya − [69]Suurya
39 %Sobhita [23] [87]%Sobhita
40 Muktaa [24] [77]Muktaa
41 Dhiimatii [25] −
42 Vasu#mdharaa [26] −
京大本 R.-tat.の26章はすべて新写本にもあること、さらに新写本からは京大本にない15の章が得られること、そしてその15の章のうち、14の章がAv%s.からの詩形改 稿本であることが上の表から判明しよう。筆者がAv%s.との対応を判明出来なかった、残 る1章は、第31章の %Sre#s#thinaa#m avadaana なのであるが、章名から判断する限りでは、Av%s.に対応する章はない。しかしこの章がAv%s.のどれかの章と対応しているかどうかの最終的な判断は、今後の研究に待ちたいと思う。
さて、新写本が京大本よりもAv%s.の詩形改稿本を14章ほど多く含むことが確認されたわけであるが、この新たなAv%s.の詩形改稿本の発見によって、従来知られた4つの文 献にはふさぐことが出来なかった、Av%s.の詩形改稿を受けていない章の空きが、大部分 ふさがることになった。
新写本で対応関係がわかったAv%s.の章を、順番を並べかえた上で、先の表Aに接続してみると次のようになる:
[表B]
Av%s.(部類) I II III IV V VI VII VIII IX X
カ「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「コ
1 11 21 − 41 51 61 71 81 91
K.-dr. 2 12 22 42 52 62 72 82 92
<15> <33> <54> <100>
<16>
カ「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「コ
<32?>
R.-m. 3 13 23 43 53 63 73 83 93
4 14 24 − 44 64 74 84 94
<55>
ョ「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「イ
、 − 25 − 45 65 85 95
、 新写本 6 26 − 46 56 66 76 86 96
、 7 17 27 − 47 57 67 77 87 97
、 8 − 28 − 48 58 68 78 88 98
、 9 − 29 − 49 − 69 79 − −
カ「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「コ
A%s-m. 10 20 30 − 50 60 70 80 90
この表Bをみて、次の三点が特に気づかれよう:
第一点。Av%s.の第4部類(第31〜第40章)に対応する章の詩形改稿が、新写本に おいても、見事に欠けている。この、第4部類の詩形改稿の欠落という不思議な符合は、それを「すべての詩形改稿がなされて後の時代に、Av%s.の第4部類の章が付けられた」 と解釈するにしろ、あるいは「すべての詩形改稿が基づいたAv%s.の1系統の伝本にだけ 、第4部類の章が欠けていた」と解釈するにしろ、とにかく、4種類の詩形改稿本の成立時期と地域は互いに大きくは隔たっていないことが推測される。同時代に一つの巨大な作品として作られた可能性も否定し切れない。
第二点。新写本の章の順序は、京大本と同じく、Av%s.から詩形改稿してゆく順序を、K.-dr.やR.-m.におけるほどの整然とした規則性をもって残してはいないが、話の順番の混乱は、内容の混乱を意味していない。順序がアト・ランダムであることは、みかけだけで、内容から見れば、Av%s.の各部類の第5〜第9の話が実に整然と詩形改稿されたもので あることが、上の表の並べかえの結果からわかる。現在の順序は、ある時代に、再編集による章の並べかえを被ったものかと思われる。新写本の現在の姿が、本来の姿を完全には伝えてはいないことは、順序の乱ればかりでなく、5, 18, 19, 59, 75, 89, 99の、あるべき7 つの章が抜け落ちていることからもわかる。
第三点。K.-dr.とR.-m.は、それぞれ原則的にAv%s.の各部類の第1・第2と、第3・第4の話を詩形改稿した作品集であるが、その原則に従っていない余計な章を幾つかもっていた。即ち、上の表でカッコでくくられた、<15>, <16>, <33>, <54>, <100>, <32>?, <55>の各章である。新写本においては、それらの、K.-dr.とR.-m.で余計に存在する、<15>, <16>, <55>の箇所がちょうど見事に欠けている。この整合性は偶然ではありえない。新写本は、K.-dr.とR.-m.とA%s.-m.の空けた部分にぴったりと接続し、全体を完結している、第4の 詩形改稿本であることは確実となる。
ここで大きな問題が出てくる。これら4種類のAv%s.の詩形改稿本は、一体、段階的・ 継起的に、別々に作られていった作品であると見なすべきなのか、それとも初め一つの完成体であったものが、伝承の過程で、ばらばらになったものと見なすべきであるのか。
上で指摘した、K.-dr.とR.-m.で余計に存在する、<15>, <16>, <55>の箇所が新写本のR.-tat.ではちようど欠けているという不思議な符合も、K.-dr.とR.-m.がR.-tat.と泣き別れたためであると解釈するならば同時成立説の根拠となるが、R.-tat.が、K.-dr.とR.-m.がを補う形で成立したと解釈するならば、段階成立説の根拠となろう。
段階成立説を支持するのは、これほど巨大な作品群が一挙に成立したとは思えないことである。そして、段階的に成立していった事情のために、この、Kathaasaritsaagaraに匹敵する巨大な韻文説話集は、完成し終えた後でさえも、部分の作品名だけを有して、統一的な作品名を有しなかったのではないか。
同時完成説を支持するのは、(1)先に指摘した、4種類のAv%s.の詩形改稿本のどれ もが、Av%s.の第4部類にあたる章を同じ様に欠いていること、(2)4種類のAv%s.の詩形改稿本が、全体のバランスから見た場合、R.-m.とR.-tat.に7割を占められ、偏っていることである。
(2)の理由について、もうすこし説明しよう。R.-m.とR.-tat.はひとつづきの作品であり、本来はひとつの作品であったかもしれない。R.-tat.という奇妙な名が仮の名であ る可能性は、先に述べたように否定できず、R.-m.とR.-tat.の両者は、R.-m.あるいは Subhaa#sitamahaaratnaavadaanamaalaaの名で統一すべきであるかもしれない。岩本裕は、 高畠寛我が校訂テキストにおいてR.-m.の13章以降を切り捨てて、代わりにR.-tat.を接続させてしまったことを批判したが、しかしR.-tat.がR.-m.の一部であったことの可能性は否定していない。岩本の批判は、R.-tat.の冒頭の2話が、R.-m.の派生系の伝本においてしか見られないものであることから、その2話をもって、R.-m.とR.-tat.とを接続させてしまう高畠の処置が誤りであることを証明しただけである。共有する章を接点として、両者を接続させることが誤りであったからといって、両者が本来、同一の作品ではなかった、と決めつけてしまうことは出来ない。確かに、R.-tat.は内容的にR.-m.の続編なのである。R.-m.とR.-tat.とが本来はひとつの作品であったとすると、Av%s.の詩形改稿本の 7割がR.-m.であったことになる:
K.-dr. ‥‥ Av%s.各部類の第1〜第2話を詩形改稿
R.-m. ‥‥ 各部類の第3〜第4話を詩形改稿
R.-tat.< R.-m.? ‥ 各部類の第5〜第9話を詩形改稿
A%s.-m. ‥‥ 各部類の第10話を詩形改稿
この全体のバランスから考えると、R.-m.はAv%s.の各部類の第3〜第9の話の詩形改稿を集めた説話集なのではなく、全体に付けられた名前であった可能性もでてくる。残りの部分としてK.-dr.とA%s.-m.があるわけであるが、そのうちA%s.-m.は、Av%s.を詩形改稿 した作品集として、初めから、A%s.-m.の名を冠してあったのではない。Av%s.の各部類の第10の話の詩形改稿を集めた説話は、A%s.-m.の中の一部分(第14章〜21章)にす ぎず、しかもその部分は、本来A%s.-m.成立の中核部であったとは見なし得ない。Av%s.を詩形改稿した部分は、付加としてどこかから持ってこられたものであろうと思われる。つまり、A%s.-m.のその部分は、R.-m.とばらばらに成立したのではないのではないか、完成体としての巨大な作品としての一部がA%s.-m.に伝わっただけではないかという疑いが出 てくる。
さらに、K.-dr.はAv%s.の各部類の第1〜第2の話の詩形改稿を集めて一番目に成立し た説話集であったということも疑問の余地がある。なぜなら、<15>, <16>, <33>, <54>とい う半端な章がK.-dr.に付加されているわけであるが、それらの半端な章の存在は、Av%s. の全体の詩形改稿がすでに背後に存在していたことをうかがわせるものとして捉えることもできるからである。<15>, <16>,<33>,<54>の半端な章が、背後にあるAv%s.の全体的な詩形改稿本からK.-dr.が分離する際に残ったと見なすなら、K.-dr.はR.-m.と泣き別れた部 分の仮の作品名であり、全体の作品名はR.-m.であったことも考えられないでもない。
なお、パーツが段階的に成立していって、ある時代に統一体として完成したものが、完本が伝承するには大きすぎるため、次第に流布の過程で、元のパーツの形に戻ってばらばらになるという、段階成立説と同時成立説の両方を兼ねた、三番目の可能性も、十分ありうるであろう。
註
1) L.Feer: Le Livre des cent L+egendes (Avadaana-%sataka), Journal Asiatique, Juillet 1879, pp.141-189, et Oct.-Nov.pp.273-307.; L. Feer: Avadaana%sataka, Cent l+egendes (bouddhiques), traduites du sanskrit, <Annales du Mus+ee Guimet, XVIII>, Paris, 1891, p.xvi-xxvii.
2) しかし、無関係な作品であるBhadrakalpaavadaanaにおいても、A%soka-upagupta-sa#mvaadeあるいはA%soka-upagupta-sa#mbhaa#sa#neというコロフォンの書き方がされているのを考え合わせ ると(v. Matsunami pp.99, 169)、FeerのいうA%soka-upagupta-sambhaara#neという言葉が 固有名詞であることを、私は疑問視せざるを得ない。
3) Kanga Takahata: Ratnamaalaavadaana. A Garland of Precious Gems, Tokyo, 1954.p.viii
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