義浄は『南海寄帰内法伝』の第四巻 (大正 54, 227a) において、「三啓」という経は馬鳴が編纂したもので、全体が3つの部分から構成され、真中の部分の仏説の(無常経の)経典をはさんで、前に10ほどの詩節、後に10余の詩節を置く形式をもつため、「三啓」と名付けられる、と報告している。その義浄が訳した『無常経(亦名 三啓経)』(大正 No.801)は 、まさしくそのような形式、つまり前に7詩節+10詩節、後に12詩節+4詩節を置く形式をもつことから、馬鳴が編纂した「三啓経」であると推測される。するとこの『無常経』の真中の経典をはさむ前後の詩節は、馬鳴が付加した部分であると見ることができる<註1>。
ただ、この『無常経』には経の後に、「臨終方訣」という付加文が続いているが、この部分は馬鳴が編纂し付加した時にはなかったであろう。大正蔵経85巻古逸部 No.2912に、大英博物館に所蔵される『無常三啓経』という燉煌古写本が収められているが、その経は義浄の『無常経』と全く同文でありながら「臨終方訣」の文は欠けている。このことから、義浄の訳文には本来「臨終方訣」は付いていなかったと思われる。
燉煌本『無常三啓経』では末尾に細注が付けられていて、「初と後の讃歎は、すなわち是れ尊者馬鳴が経の意を取り、集めて造る。中は是れ、正経にして金口の所説事なり。三つの開あるが故に、三啓と云うなり」と記されている。この細注の言葉は、義浄が『南海寄帰伝』で述べた馬鳴の「三啓経」が、義浄訳の『無常経』であることを裏付けるものである。
Lin Li-Kouang(1949)は<註2>、正法念処経の研究において(付録7)、この漢訳『無常経』の馬鳴が作ったと思われる詩節を調べて、それらがBuddhacaritaやSaundarananda、大荘厳論やNairaatmyaparip#rcchaaの、馬鳴の作品の詩節と類似していることを指摘した。1例をあげるならば、『無常経』にある「譬如群宿鳥 夜聚旦隨飛 死去別親知 乖離亦如是」(大正17、746a25-26)の詩節は、Buddhacarita6章46詩節と着想がよく合致する。
Lin Li-Kouangによると、漢訳『無常経』の馬鳴の詩節の中には、Saddharma-sm#rtyupasthaanasuutra(正法念処経)から抜粋したと自称する梵文Dharmasamuccaya(諸法集要経)の詩節と対応しているものがあるので、それらの詩節は、Dharmasamuccayaの梵文と比較してみることができる。Dharmasamuccayaに収録された、有部に伝わるそれらの詩節 は、馬鳴の詩節を用いたか、あるいは下敷きにしている可能性がある。
山田龍城(1959)は<註3>、馬鳴の「三啓経」と、Saa+nk#rtyaayanaがチベットのポカン寺で発見しコロフォンに馬鳴作と記されたTrida#n#damaalaaという作品(Journal of the Bihar and Orissa Research Society 1938, pt. iv, p.157)とは、その経名から判断して、関係があるのではないかと推測した。しかしこの推測は未だTrida#n#damaalaaのテキスト出版がないため、確かめられない。
Ch.:(a) 大正 801. 仏説無常経(亦名 三啓経)(1巻) 唐 義浄 訳
(b) 大正 2912. 仏説無常三啓経(1巻) 燉煌古写本
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