(Avadaanakalpalataa)
諸菩薩のアヴァダーナの祈願成就の蔓草
中世のAvadaana集成は11世紀のAvadaanakalpalataaから始まる。文学史の観点から見るとき、Avadaanakalpalataaは文学作品としてはあまり価値はないが、後代に与えた影響は過少評価されるべきではないとM. Hahn(1985)は指摘している<註1>。AvadaanakalpalataaはAnu#s#tubhやUpajaatiの単純な韻律を用いて、全編を韻文で綴る、叙事詩的な形式を初めて採用することによって、中世の大規模なavadaanamaalaa文献の先駆者となった。Avadaanakalpalataaはインドの仏教説話文学の最後の地点に立つ作品であるとともに、ネパールを中心とする中世の説話文学への出発点に立つ作品である。Avadaanakalpalataaはまたチベットで過大の評価を得、チベットの文化に与えた影響は多大なものがある。
Hodgsonがネパールで蒐集しパリとカルカッタに送った梵語仏教写本には、それぞれ 1本のAvadaanakalpalataaの写本が含まれていた。パリに送られた写本に基づいて、Burnouf(1944) は<註2>初めてAvadaanakalpalataaについて言及し (p.555 1st ed.; p.495 2nd ed.)、またカルカッタに送った写本に基づいてR. Mitra(1882)は<註3>、『ネパールの梵語仏教文献』の中で、初めてAvadaanakalpalataaの写本の梗概を紹介した。だが、これら2本のHodgson写本は共通して、前半部1〜50章 (Somendraの章名目録に従い、49章に訂正) が欠けており、Mitraによる各章の内容梗概は第51(50章に訂正)〜108章の部分だけに限られた。
Hodgsonに由来するAvadaanakalpalataaの写本にはこのように前半部が欠けていたが、またD.Wrightが蒐集した2本のAvadaanakalpalataaのネパール写本も、第41章(de Jongに従い、42章に訂正) より前の部分が欠けていた。Wrightが蒐集した写本の1本はA.D.1302年の筆写である。どうやらネパールにおいては早い時期からAvadaanakalpalataaは前半が失われてしまっていたらしく思われる。だが幸いにも、Avadaanakalpalataaはチベット人に大変好まれた作品であったためか、完全な梵本がチベットのラサにおいて伝えられていた。
Sarat Chandra Dasは1882年にラサのポタラ宮の印刷場において、Avadaanakalpalataaの木版 刷りを入手した。この木版刷りは620葉から成り、チベット文字による梵文テキストと、チベット訳とが並置されたものであった。この版木が彫られた日付は、Dasによれば西 暦1662〜1663年となる。(この西暦への換算は、de Jong(1979)によって1664〜1665年と修正された。)この木版刷り本においては、(1) シャル寺の古い木版刷り本、(2) ツオンカパ自身による写し、(3) Tai(?) si-tu bya+n-chub rgal-mtsan王所有のGdan-sa-mthil諸写本、(4) Rin-chen bu+n-baの諸写本の、以上4資料が主に校合されたという。特にこの版のベースになった(1)の、Chos-skyo+n mza+n-po(シャル寺の翻訳官) が作った古い木版刷り本は、やはり梵文テキストと、チベット訳とが並置されたものであったらしい。
さて、Dasはこのチベットで入手した木版刷り本に基づき、H. M. Vidyaabhuusha#naと協 力して、1888年から1913年にかけて分冊で、Avadaanakalpalataaの梵文とチベット訳を左右のページに配した校訂テキストを、ベンガル・アジア協会のBibliotheca Indica叢書より出版した<註4>。
このDas・Vidyaabhuusha#na刊本の第10章〜48章は、チベット訳(木版刷り本)のAvadaanakalpalataaの第11章〜49章にあたる。Dasによれば、チベット訳の第10章はM+nal-las #hbyu+n-ba (Garbhotpatti) という名になっているが、対応する梵本は存在しない。どうやらこの第10章はチベットで付加されたものらしい。なぜならSomendraが付けたAvadaanakalpalataaの章名目録には、このような名の章は入っていないからである。チベット訳にはこのような余計な1章がある代わりに、Cambridge写本には存在している第49章#Sa#ddantaavadaanaを欠いている。Somendraが付けたAvadaanakalpalataaの章名目録には、この章が入っているから 、本来はあった章であると思われる。Dasの木版刷り本には、#Sa#ddantaavadaanaの梵本 は欠けている。つまりチベットの伝承においては、第49章#Sa#ddantaavadaanaを失った代わりに、第10章の場所に余計なM+nal-las #hbyu+n-baという章を割り込ませているらしい。そこでDasは、本来の形に戻すため、第10章M+nal-las #hbyu+n-baを捨てて、順に章の番号を一つづつ繰り上げて、チベット訳の第11章〜49章を、刊本では第10章〜48章に位置せしめた。
Vidya(1959)は<註5>この Das・Vidyaabhuusha#na 刊本の、チベット訳を除いた梵本の部分だけ を、「仏教梵語テキスト」のシリーズの22・23巻として、インドから発行した。
岩本裕(1968)は<註6>Sumaagadhaavadaanaの研究において、Avadaanakalpalataaの第93章Sumaagadhaavadaanaを和訳し、同章のテキストをBendall Add. 913, 1306の2写本によって校訂し、付録としてあげた。
この93章は、M. Hahnの弟子Markus G%ortz(1993)によって<註7>あらためて蔵・梵テキストが校訂され、独訳された。
Kabita Das Gupta(1978)は<註8>、ギルギット写本のVi%svantaraavadaanaを研究した博士論文の付録Iにおいて、Avadaanakalpalataaの第23章Vi%svantaraavadaanaのテキストならびに英訳 をあげた。
さてチベット訳がなされる時にすでに失われていた第49章#Sa#ddantaavadaanaが、不思議にもCambridge写本2本 (Bendall Add.913, 1306) には存在する。このCambridge写本はde Jongによって、初めて研究がなされた。
第49章#Sa#ddantaavadaanaの梵本は、チベット訳とDasの木版刷り本ならびにHodgson写本には無いのに、Cambridgeの2写本にはある。これは奇妙なことである。de Jong(1977)は<註9>Cambridge Add.1306の写本を吟味して、第49章#Sa#ddantaavadaanaの部分の葉は、後から付加されたものであり、それは写経生がAvadaanakalpalataaの欠けた第49章を補おうとして、別のアヴァダーナ集から#Sa#ddantaavadaanaを借りてきて挿入したと結論づけた。その別のアヴァダーナ集とは、Kalpadrumaavadaanamaalaaである。de JongはAvadaanakalpalataa のCambridge Add.1306写本の第49章#Sa#ddantaavadaanaは、Kalpadrumaavadaanamaalaaの同名の章から5, 59-123, 144-161, 166-184, 190, 193-198偈を取って作られたことを確認している。
de Jong(1979a)は<註10>このKalpadrumaavadaanamaalaaの第25章#Sa#ddantaavadaanaの校訂テキストを発表した。用いた写本はAvadaanakalpalataaの2本のCambridge写本 (Bendall Add.913, 1306) および、KalpadrumaavadaanamaalaaのParis写本 (Filliozat 26-27) とCambridge写本 (Bendall Add.1590) である。
つづいてde Jong(1979b)は<註11>2本のCambridge写本を用いて、原典批判をDas本に対して行った。特にCambridge写本 Add.1306は西暦1302年の筆写の貝葉であり、作品の完成年 (A.D.1051-1052) から250年しか経っていない古さである。もう1本の新しい写本Add.913は、Add.1306を訂正するのに用いられた古写本の、幾世代か後のコピーらしく、別系統のやや異なる読みを受け継いでいる。どちらのCambridge写本にも第42章 Pa#n#ditaavadaanaより前の部分は無く、このため、de Jongの原典批判は、第42章第7偈〜108章に限定されて行われた。
de Jongは原典批判において、Das・Vidyaabhuusha#na刊本のように第11章〜49章を 、第10章〜48章に変えた章の繰り上げに従わず、チベット訳ならびにCambridge写本 の章番号の記述に従った。またde Jongは、第42章の名称がDas・Vidyaabhuusha#na刊本 ではKapilaavadaanaになっているのを、Pa#n#ditaavadaanaに訂正した。
M. Williams(1981)は<註12>このde Jongの研究に対するJournal of the Royal Asiatic Societyの書評において、特にAvadaanakalpalataaの 52章を例にとり、de Jongの用いなかったチョーネ版の梵文=チベット訳対照テキスト を利用して、de Jongによる原典訂正を確かめた。
最近、Marek Mejor(1992)は<註13>第75章 Pratiityasamutpaadaavadaanaの蔵・梵テキストを校訂し、英訳した。
以上がAvadaanakalpalataaの校訂・原典批判研究である。このほか、Vidhushekhara Bhattacarya(1939)が<註14>古典チベット語学習書Bho#taprakaa%saの中に載せた、Avadaanakalpalataa第60章Naagakumaaraavadaanaの梵文・チベット訳対照テキストもあるが、Das・Vidyaabhuusha#na刊本をそのまま用いたと思われる。
次にAvadaanakalpalataaの翻訳を見る。S. Ch. Dasが主宰したThe Journal of Buddhist Text Society of Indiaでは、大勢が訳を分担して、短期間に集中的にAvadaanakalpalataaの多くの章を英訳した<註15>。しばしば雑誌には梵文テキストも付けられたが、ここではテキストは割愛して、英訳のみを対象として、Avadaanakalpalataaの訳された章と、訳者・掲載巻を示すならば、次のとおりである:
Avadaanakalpalataa
3章 Ma#nicuu#daavadaana ‥‥ B. N. De(vol. I, pt.3, 1893)
4章 Maandhaatraavadaana ‥‥ H. P. %Saastrii(vol. II, pt. 3, 1894)
6章 Badaradviipayaatraavadaana ‥‥ S. Ch. Banerji(vol. III, pt. 1, 1895)
7章 Muktaalataavadaana ‥‥ R. Ch. Dutt(vol. I, pt. 1, 1893)
8章 %Sriiguptaavadaana ‥‥ N. Ch. Das(vol. III, pt. 2, 1895)
9章 Jyoti#skaavadaana ‥‥ N. Ch. Das(vol. II, pt. 2, 3, 1894)
10章 Sundariinandaavadaana ‥‥ S. Ch. Vidyabhusan(vol. IV, pt. 3, 1896)
11章 Viruu#dakaavadaana ‥‥ L. N. Sinha(vol. IV, pt.1, 1896)
12章 Haariitikaadamanaavadaana ‥‥ S. Ch. Vidyabhusan(vol. V, pt. 1, 1897)
13章 Praatihaaryaavadaana ‥‥ Bhuu#sa#na Candra Daas(vol. V, pt. 3, 1897)
26章 %Saakyotpatti ‥‥ V. Ch. Rai(vol. I, pt. 4, 1894)
50章 Da%sakarmaplutyavadaana ‥‥ A. P. Saraswatii(vol. 1, pt. 4, 1893)
51章 Rukmavatyavadaana ‥‥ N. Ch. Das(vol. 1, pt. 4, 1893)
52章 Adiinapu#nyaavadaana ‥‥ N. Ch. Das(vol. VII, pt. 4, 1906)
56章 Gopaalanaagadamanaavadaana ‥‥ M. L. Das(vol. II, pt. 1, 1894)
57章 Stuupaavadaana ‥‥ A. P. Saraswatii(vol. II, pt. 1, 1894)
(別訳)S. Ch. Das(vol. VII, pt. 3, 1904)
63章 Mahaakaa%syapaavadaana ‥‥ S. Ch. Vidyabhusan(vol. VI, pt. 1, 2, 1898)
64章 Sudhanakinnaryavadaana ‥‥ J. Bhattacharya(vol. VI, pt. 4, 1898)
65章 Eka%s#r+ngaavadaana ‥‥ N. Ch. Das(vol. 1, pt. 2, 1893)
(以上は東北大学図書館が有するJBTSI, vol. 1(1893)-7(1906)までの巻に含まれている翻訳であり、それ以降の巻については不明である)
Nobin Chandra Das(1895)は<註16>『仏陀、シャカ族の獅子の伝説と奇跡』というAvadaanakalpalataaの翻訳書を出したが、第65・第51・第9・第8章の英訳であり、上の雑誌に載せたものの再録である。
A. H. Francke(1901)は<註17>Avadaanakalpalataa第65章を独訳した『エーカシュリンガ、一角王子』と いう小冊子をライプツイヒから出版した。
Avadaanakalpalataaの全部の章の梗概を知るためには、Tucci(1949)の<註18>『チベットの絵巻物』でなされた解説が、便利である。TucciはAvadaanakalpalataaを描いた31枚のタンカ(nn. 64-94)を説明するために、Avadaanakalpalataaの108の話の梗概を紹介しており、註記には類似の並行話を指摘している。
このほかチベットでAvadaanakalpalataaのチベット訳を散文で要約した Mtho+n ba don ldanという書が作られており、入手したS. Ch. Das(1965)により<註19>ニュー・デリーから出版された。
Avadaanakalpalataaの各章の個別的な研究としては、Zinkgr%af(1940)が<註20>Avadaanakalpalataa第87章Padmakaavadaana をA%sokaavadaanamaalaa第26章Padmakaavadaanaと比較して、両者の逐字的な一致を指摘した。Zinkgr%afはK#semendraがAvadaanakalpalataaの同章を作るにあたってA%sokaavadaanamaalaaから借用したと推定した。
Skt. MSS.: Filliozat 8; Bendall Add.913, Add 1306 [palm-leaf]; SBLN p.57; ASB pp.251, 252; Nagao p.10; Takaoka CA15 [359 fols.]
Tib.: Toh 4155, 7034(bilingual Sanskrit-Tibetan text), Ota 5655, N(T)3646
註を見るにはここをクリック!