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 1.Avadaana%sataka

  Puur#na[pra]mukhaavadaana%sataka 
 (プールナより始まる)アヴァダーナ百集 

 Burnouf(1844)は<註1>『インド仏教史序説』において、Hodgsonが1837年にパリのアジア協会に送った64写本の中にあった、1本のAvadaana%sataka の写本 (Filliozat 9-10) に基づき、Avadaana%satakaの第7章Padmaを全部訳し (pp.178-182, 2nd ed.)、また第36・ 96・99・100章を部分訳して用いた。

 Burnoufの死後、同じ写本に基づいてAvadaana%satakaを本格的に研究したのは、L. Feerである。

 Feer(1866)は<註2>、チベット大蔵経カンギュルからKalyaa#namitrasevanasuutraを仏訳し、Avadaana%satakaの梵本と比較した。

 Feer(1869)は<註3>Avadaana%sataka第15章 Praatihaaryaのテキストを発表した。

 Feer(1873)は<註4>Kalyaa#namitrasevanasuutraが入っているAvadaana%sataka第37章 %Sa%sa と第40章 Subhadraを内容を紹介し、チベット大蔵経カンギュルのKalyaa#namitrasevanasuutraは、Avadaana%sataka第40章 Subhadraからの抜粋であると考えた。

 Feer(1878)は<註5>Avadaana%sataka第36章 Maitrakanyakaを仏訳し、同時にAvadaanakalpalataa (92章? Feerの用いたパリ写本では24章)、Divyaavadaana (38章?) の母子の別れの挿話も仏訳した。また関連してDvaavi#m%satyavadaanaの中のDhaatustejasの話(10章)の梗概を紹介し、パーリ・ジャータカの並行するいくつかの物語も仏訳した。

 Feer(1879)は<註6>Avadaana%satakaの100のアヴァダーナの内容を初めて紹介し、Avadaana%sataka、Kalpadrumaavadaana、Ratnaavadaanamaalaa、Dvaavi#m%satyavadaanaに含まれる話の対照表を作っ た。

 またR. Mitra(1882)も<註7>ほとんど同時に、ベンガル・アジア協会のHodgson写本の報告たる『ネパールの梵語仏教文献』の中で、Avadaana%satakaの個々の章の梗概を明らかにした。なお、Mitraは写本のコロフォンにAvadaana%satakaの編者としてNandii%svara Aacaaryaの名を見出した。この名は、Feer(1891) p.xxiiiでは<註8>Thandii%svara Aacaaryaと読まれ、Speyerの刊本 (II, p.206, note 3) でもTha#mdii%svara Aacaaryaと読まれたが、Speyer(1909) p. xx が解説するように<註9>、この名前を含む1文は不明瞭で、かつ対応するチベット訳にも欠けており、Tha#mdii%svara Aacaaryaという編者(?)の名の伝承をどこまで信頼することができるかが問題となる。その1文は次のとおり:

samaapta#m ca avadaana%sataka#m hy atraya#m(?) sugatabhaa#sita#m tha#mdii%svaraacaarya-puurvam idaanii#m prakaa#sita#m //

Speyerは、Tha#mdii%svara Aacaaryaの名を、編纂者というより、Avadaana%satakaのテキストを忘却から救った人物の名ではないかと解釈する。

 Feerは1880年から84年にかけての一連の論文で、Avadaana%sataka研究の成果として、10部類から成るAvadaana%satakaの、それぞれの部類の扱うテーマに沿って、仏陀や独覚や阿羅漢や天や餓鬼などの生の状態と、その生存に至る条件を考察した。Avadaana%satakaの部分的な翻訳が 論文に付けられている。すなわちFeer(1880)の論文「いかに仏と成るか」では<註10>第1部類 (1章〜10章) の例として第8章 Pa%ncaalaを、また Feer(1881a)の論文「いかに独覚と成るか」では<註11>第3部類 (21章〜30章) の例として第24章 Da%sa%sirasと第23章Cakraを、Feer(1881b)の「いかに阿羅漢と成るか」では<註12>第9部類 (81章〜90章) の例として第82章 Sumanaを、Feer(1882)の「阿羅漢の不幸」(1882)では<註13>第10部類 (91章〜99章) の例たる第94章 Leku%ncikaと、ならびに、第100章に代わって例外的にこのグループに属すると見做される第50章 のJaambaalaを、Feer(1883)の論文「いかに女の阿羅漢になるか」<註14>では第8部類 (71章〜80章) の例たる第73章 %Suklaaと第80章Viruupaaを、Feer(1884a)の「いかに天となるか」では<註15>第6部類 (51章〜60章) の例として第56章 %Sukaと第57章 Duutaを、Feer(1884b)の「いかに餓鬼となるか」では<註16>第5部類 (41章〜50章) の例として第43章 Paaniiyaと第49章 Putraを仏訳している。

 Feer(1884c)は<註17>、上の考察で残った第2部類(11章〜20章)と第4部類(31章〜40章)を、「ジャータカ的なアヴァダーナ」と名付け、第2部類の例として第12章Stambhaと第11章 Naavikaを、また第4部類の例として第33章Dharmapaalaと第39章Anaathapi#n#dataを仏訳した。さらに、例外的に第75章、81章、97章も「ジャータカ的なアヴァダーナ」に属すると見做されるが、第97章Viruupaが仏訳された。

 整理すると、Avadaana%satakaの10の部類は<註18>次のような内容的区分をもつ(Feerによる)。

  第1部類  将来の仏陀           ‥‥  1〜10章 

  第2部類  ジャータカ(非古典的)     ‥‥ 11〜20章 

  第3部類  独覚(2話は過去、8話は未来) ‥‥ 21〜30章

  第4部類  ジャータカ(古典的)      ‥‥ 31〜40章

  第5部類  餓鬼              ‥‥ 41〜50章

  第6部類  天と畜生            ‥‥ 51〜60章

  第7部類  シャカ族の阿羅漢        ‥‥ 61〜70章

  第8部類  女の阿羅漢           ‥‥ 71〜80章

  第9部類  非の打ち所のない阿羅漢     ‥‥ 81〜90章(100章)

  第10部類  咎ある、不幸な阿羅漢     ‥‥ 91〜99章 

 上のFeerの一連の論文で、Avadaana%satakaの全体の5分の1の訳が発表されたが、さらに1891年には、Feerは「ギメー博物館年報」の第18巻として、Avadaana%satakaの全訳を出した<註19>。Feer は、主にBiblioth#eque Nationaleの梵本写本1本 (Filliozat 9-10) ならびにチベット訳に基づいて仏訳した。現在においても、Feerの仏訳は、Avadaana%satakaの唯一の全訳でありつづけている。

 Feerはこの仏訳の序文で、初めてアヴァダーナというジャンルを定義づけた。そして、専ら

Avadaana%satakaに基づいて、アヴァダーナ作品を内容的に5種の型に分けた。5種とは、

 (1) 本来のアヴァダーナ(過去のアヴァダーナ)

 (2) ジャータカ的アヴァダーナ

 (3) 現在のアヴァダーナ

 (4) 未来のアヴァダーナ(授記経 vyaakara#na としてのアヴァダーナ)

 (5) (1と4の)混合したアヴァダーナ

である。次いで、Feerは、Avadaana%satakaと、Kalpadrumaavadaanamaalaa, Ratnaavadaanamaalaa, A%sokaavadaanamaalaa等の、後代のAvadaana%sataka系列のavadaana-maalaa類との関係を初めて指摘した。Kalpadrumaavadaanamaalaa (Ms. Filliozat 26-27) は全30章のうち、(第22章を除く)始めの24章が、Avadaana%satakaの次の章と対応する:

 100, 1, 11, 21, 41, 51, 61, 71, 81, 91.

    2, 12, 22, 42, 52, 62, 72, 82, 92, 54, 15, 33, 16.

またRatnaavadaanamaalaa (Ms.Filliozat 104-105)は全34章のうち、(第6・8・16章を除く)始めの21章が、Avadaana%satakaの次の章と対応する:

   3, 13, 23, 32(?), 43, 53, 63, 73, 83, 93.

   4, 14, 24,     44, 55, 64, 74, 84, 94.

以上から、KalpadrumaavadaanamaalaaはAvadaana%satakaの各部類の第1と第2の話を、また、Ratnaavadaanamaalaaは、その続きとして、Avadaana%satakaの各部類の第3と第4の話を、集めて詩形にした集成であることがわかる。このことから、Feerは、KalpadrumaavadaanamaalaaとRatnaavadaanamaalaaは両者とも本来、Avadaana%satakaを韻文にした或る巨大なavadaanamaalaaの作品の一部であったと推定した。その巨大な作品の名は、Kalpadrumaavadaanamaalaaの末尾のコロフォンに ity a%soka-upaguptasambhaara#ne kalpadrumaavadaanamaalaa samaaptaa //とあることから、A%soka-upagupta-sambhaara#na(アショーカとウパグプタの会談)という名ではなかったかと考えられた。このほか、A%sokaavadaanamaalaa (Ms. Cambridge Add.1482) も、全27章のうち、その第14章から第21章までの部分が、Avadaana%satakaの次の章に対応する:

   10, 20, 30, 50, 60, 70, 80, 90

このため、A%sokaavadaanamaalaaも、同系列の集成である可能性がある。Feerはこのほか、Avadaana%satakaと密接な関係をもつ集成として、Dvaavi#m%saty-avadaanaを紹介する。しかし上 の3者のavadaanamaalaaのように、組織立った形でAvadaana%satakaの利用が見られるわけではない 。

Feerの仏訳の後に、オランダのJ. S. SpeyerがAvadaana%satakaの原典を出版した。

 Speyer(1899)は<註20>、Avadaana%satakaの原典テキストを出版するため写本を調べたが、その1成果として、BurnoufとFeerがともに誤読した第100章Sa#mgiitiの「仏陀世尊が般涅槃されて20年後に、パータリプトラの都城にアショーカ王が統治した」という訳文の、「200年後」の語を「100年後」に訂正すべきことを指摘した。Burnoufらの誤読は、‥‥ atha dvitiiya#m // var#sa%sata-=parinirv#rte buddhe ‥‥という文の、ダンダ(//)に切られたatha dvitiiya#m の語を、後ろの文に繋げて読んでしまったことに起因する。これでアショーカ王を仏滅後100年におく北伝の伝承に、Avadaana%satakaも従うものであることが確かめられた。またSpeyerはこの文の直前の、仏陀が入滅された時に、僧や神々によって詠まれた詩節について、梵語のMahaaparinirvaa#nasuutraからの借用と考え、パーリ本との比較を行った。

 そしてSpeyer(1906, 1909)は<註21>、Avadaana%satakaの原典テキストを、ロシア帝国学士院編集のBibliotheca Buddhica叢書の第3巻として、2分冊で出版した。Speyerは、4本のAvadaana%sataka写本に基づい て校訂を行った。すなわち、Cambridgeの写本B (Bendall Add.1611) と、Feerの用いた写本P (Filliozat 9-10)、ならびに写本C (Bendall Add.1386) と写本D (Thomas 7797) であ る。このうち、B写本は、CDPの3本の写本が基づいたオリジナル写本であった。写本BはD. Wrightによってネパールで蒐集されたもので、A.D.1645年に筆写された紙写本である。B写本の写経生が落としたAvadaana%sataka第5章 Somaは永久に失われてしまった。

 Speyerが第2分冊につけた長い序文は、岩本(1967)の『序説』が出るまで、アヴァダーナ文献についての最も包括的な記述となった。彼はFeerの後を受けてアヴァダーナの語の定義を行い、またFeerがアヴァダーナを内容的に5種に分類したのに対して、Speyerは歴史的にアヴァダーナを3段階に分類した。3段階とは、

 (1)第1段階。律あるいは経の中に譬喩として挿入されたアヴァダーナ。

     例。Divyaavadaana

 (2)第2段階。聖典と認められた、純粋なアヴァダーナ(集)。

     例。Avadaana%sataka, Karma%sataka、 paali Apadaana

 (3)第3段階。聖典が確定した後に作られた、文学めいたアヴァダーナ集。

     例。Jaatakamaalaa, Avadaanakalpalataa, avadaanamaalaa文献

である。またSpeyerは序文の第2節で、Feerによって先鞭をつけられたAvadaana%satakaとKarma%satakaとの関係、ならびにAvadaana%satakaとavadaanamaalaa文献の関係について、詳しい掘り下げを行った。彼はAvadaana%sataka系列のavadaanamaalaa文献のAvadaana%satakaへの依存性と大乗的な性格を論じ、またヒンドウー教をつよく意識していることがうかがえるKalpadrumaavadaana第11章のYa%somatiiの仏讃 (stuti) の校訂テキストを示した。avadaanamaalaa文献はヒンドウー教のプ ラーナ文献に精神的な雰囲気が似ており、A.D.400〜1000年の成立かと推測される。Speyerはavadaanamaalaa文献の見本として特に、Avadaana%sataka第91章を詩形に改稿したKalpadrumaavadaana第10章の校訂テキストを挙げている。さらに彼はFeerに扱われなかった新たな文献 Vicitrakar#nikaavadaanaを紹介し、その全32章の梗概を示した。

 H. Oldenberg(1912)は<註22>、Divyaavadaanaにおいて文体Aと文体Bを確かめた後に、Avadaana%sataka 第100章 Sa#mgiitiの中の、根本有部の阿含に基づくらしい、パーリのMahaaparinibbaanasuttantaと対応している部分を、吟味した。

 J. von Ott(1913)は<註23>Avadaana%sataka第45章Maudgalyaayanaと第100章Sa#mgiitiを独訳した。

 Turner(1913)は<註24>Avadaana%satakaを主なソースとしてネパールで成立したDvaavi#m%satyavadaanaの言語的特徴を研究した。

 Przyluski(1918-20)は<註25>、研究の第1部(1918)で、Avadaana%satakaの第100章Sa#mgiitiの冒頭の、古い資料に基づくらしい仏陀の入滅の部分を、特に本質的な部分である偈頌を中心に、根本有部の律蔵と、同じく根本有部に属するらしい「雑阿含経」(大正 No.99) 、ならびに パーリのSagaathavaggaやMahaaparinibbaanasuttantaの、並行し対応する伝承と、比較を行った。Avadaana%satakaは、根本有部のDiirga Aagama「雑阿含経」(大正 No.99) と起源を等しくし 、偈頌ばかりから成る古くて簡潔なParinirvaa#nasuutraのヴァージョンに属している。

 Przyluski(1936)は<註26>Avadaana%sataka第76章とKarma%sataka第7章の話をAグループ、Avadaana%sataka第7 9章とKarma%sataka第8章の話をBグループと名付け、それらとKarma%sataka第61章の話を比較することによって、Karma%sataka第61章の話が古形であり、それが後にBグループの話に変容したが、その変容の途中で、Aグループの話の影響があったと推定した。また変容の過程には(1)不道徳性の浄化、(2)相似による類似話の転移、(3)戒律の尊重、などの原理が働いたと見られる。

 Waldschmidt(1944, 48)は<註27>、中央アジア出土の梵文Mahaaparinirvaa#nasuutraと、他の漢訳やパーリで伝わる涅槃経のヴァージョンとを比較研究したが、Avadaana%satakaをも参照した。次のようにMahaaparinirvaa#nasuutraは、Avadaana%satakaと対照せしめられる。

  MPS Vorgang 32a → Avadaana%sataka II, 197.5-14

  MPS Vorgang 40a-c → Avadaana%sataka I, 228.3-234.6

  MPS Vorgang 40d (tib.-chines. Sondertext V. a, b) → Avadaana%sataka I, 234.8-237.2

  MPS Vorgang 40d (tib.-chines. Sondertext V. d, e) → Avadaana%sataka I, 237.3-240.12

  MPS Vorgang 44a → Avadaana%sataka II, 198.1-199.9

  MPS Vorgang 49c → Avadaana%sataka II, 199.11-200.6

 Fa Chow(1945)は<註28>Avadaana%satakaと漢訳「撰集百縁経」(大正 No.200)とを比較した。この漢訳は支 謙により西暦220〜253年の間に訳されたものである。漢訳は梵本とおおむね一致しているが、Fa Chowは特に漢訳の百話のうち、梵本に欠けるもの、梵本と一致しないものを選ん で、英訳を行った。訳された漢訳は、5話・8話・21話・24話・30話・80話・89話・98話・99話・100話である。

 このFa Chowの翻訳の後ろには、Bagchi(1945)の<註29>「ノート」が付けられ、Avadaana%satakaの梵本と漢訳の相違が意味するものを考察している。Bagchiによれば、漢訳とAvadaana%satakaとを比較する と、漢訳の原本は飾りなく話だけからなる簡素なものであり、特に梵本に頻繁に出てくる長い clich+es(ステロタイプな文章)が漢訳のヴァージョンには見られない、という現象が観察される。BagchiはAvadaana%sataka第100章Sa#mgiitiを漢訳と比較することによって、Avadaana%satakaは本来、根本有部に属する作品ではなかったが、3世紀以後に根本有部によって改訂さ れたことがわかると指摘し、この根本有部による改訂において、Avadaana%satakaの中に根本有部特有の長いclich+esが入り込んだのではないかと考えた。

 Thomas(1950)は<註30>、小さな梵語仏教文献のアンソロジー集を編んだが、Avadaana%satakaからの抜粋 訳も入っている。XIV「グプティカの論説」はAvadaana%sataka第96章から、XVIII「仏陀の入滅」 はAvadaana%sataka第40章・100章から、またXIX「菩薩の誓願」は第7章から、XX「仏陀の性質」は第18章からの英訳である。

 干潟龍祥(1954)(改訂1978)は<註31>『本生経類の思想史的研究』の附表「本生経類照合全表」で、Avadaana%satakaについても、主だった並行話を調べている。パーリの本生話に合するものは甚だ少 なく、漢訳賢愚経に合するものが割に多い。干潟は、Avadaana%satakaと賢愚経の間には極めて密接 な関係があり、何れか一方が他方を知っていたか、又は同一の話がそれぞれ取り入れられたかであろう、と結論づける。

 Vaidya(1958)は<註32>インドからAvadaana%satakaのテキストを刊行した。専らSpeyer本に基づいている が、多少の修正が施されたという。Speyer本の写本の異読はほとんど載せられていない。付録の第1は、Kalpadrumaavadaanamaalaaの第10章 Subhuutyavadaanaのテキストで、Speyer刊本の序文にあったものの再録である。第2付録にはAvadaana%satakaに見られる26種の、ステロタイプな物語の構成要素たる文章 (clich+es) が上げられた。

 岩本裕(1962) (改稿1967)は<註33>、Avadaana%satakaの説話形式を組み立てている重要な構成項目を調査して、

  (1) 仏の微笑の描写

  (2)「業は百劫を経るとも消えず」の偈頌

  (3) 前世物語

  (4) 過去仏の名

  (5) 業に関する教説

のうち、(2)〜(5)を具えている形式が、アヴァダーナの完成された形式と認められることを明らかにした。そしてアヴァダーナの内容を、「仏弟子あるいは敬虔な信者を主人公とし、その前世物語に於いて過去七仏の誰かが登場する説話」と定義した。このような形式と内容をもつ「狭義のアヴァダーナ」が、Avadaana%satakaの中核部分であると考えられるが、それはAvadaana%satakaの第60章〜99章である。また岩本はAvadaana%satakaと異系の伝本と見做される漢訳「撰集百縁経」との比較を行い、Avadaana%sataka第100章Sa#mgiitiに見られる改作の跡から、Avadaana%sataka はガンダーラ有部に属し、「撰集百縁経」はマトウラー有部に属すると推測した。

 Vaudeville(1964)は<註34>、Avadaana%sataka第100章Sa#mgiitiを研究した。第100章Sa#mgiitiは 、(a) 仏の涅槃と (b) スンダラの現在物語と (c) 過去物語との3つの話に分けられるが、(a)と(b)の結びつきがよくわからない。Vaudevilleは、本来は2つの異なる伝承、すなわち 一方では(a)+(c)の伝承が、片方では(b)の伝承があり、Avadaana%satakaの編者によって両方が結び合わされて、漢訳「撰集百縁経」に見られるような形になり(ただし漢訳では(a)が離脱した)、さらにアショーカ=ウパグプタ説話のわくに合うように修正されて、現在の梵本Avadaana%satakaの形になったと推測する。

 奈良康明(1966)は<註35>中村元編『仏典I』の中に、Avadaana%satakaから第36章 Maitrakanyaka、第 41章 Gu#da%saalaa、第84章 Tripi#taを和訳した。同じ3章の翻訳は、奈良(1988)の<註36>『仏弟子と信徒の物語 −アヴァダーナ−』に、若干改訂して収められた。

 Handurukande(1982)は<註37>、ベンガル・アジア協会の Paaniiyaavadaanaという書名の、A.D.1309年に筆写された1貝葉写本 (%Saastrii 26) を、Avadaana%sataka第43章 Paaniiyaに同定した 。彼女はその物語を英訳し、並行資料としてRatnaavadaanamaalaa第4章とDvaavi#m%satyavadaana第13章を紹介した。

 Hartmann(1985)は<註38>、有部と根本有部とに用いられる梵語の語形の違いを指摘したHin%uberやSanderやSimsonによる業績を利用して、Avadaana%satakaはどちらの有部に属する資料かを、調 査し、Avadaana%satakaの語形が全く根本有部の使用する形に合うことを報告した。さらにHartmann はAvadaana%satakaの中に挿入されている阿含の借用部分を、中央アジア出土の有部の断片資料とつきあわせてみて、両者が合わないことを確認した。これらのことから、梵本Avadaana%satakaは根本 有部に属するらしいことが知られる。ただしそれによって、Bagchi(1945)が指摘したような、後からの根本有部による改訂である可能性が、排除されたわけではない。

 なお『仏教説話大系 第26巻 アバダーナ物語(二)』には<註39>Avadaana%satakaから第10・21 ・50・59・69・84・98章が抄訳された。

 

Skt. MSS.:

Bendall Add.1386 [→MS.D], 1611 [→MS.B], 1680-II;

Filliozat 9-10 [→MS.P];

Matsunami 28;

Durbar p.173 = NGMPP-Card B95/11 = BSP t#r299(1-30) = Bir 29(a);

NGMPP-Card A918/3 = BSP t#r591(1-31)= Bir 29(b) = Bir 228;

SBLN p.17;

Thomas 7797 [→MS.D];

IASWR MBB-II-125;

Takaoka A60, A145, DH77;

ASB p.243;

NGMPP-Card A844/8 = A118/4-119/1(= pa245), B101/20, D42/11, E664/1-665/1, E1344/4-1345/1, E1554/24 [palm-leaf. 43 fols.]

MSS. of Parts:

Divyabhojanaavadaana [20]: %Saastrii 81(II)

Kavataavadaana [32]: Bir 123 = BSP pra1633(1-131) = NGMPP-Card B24/4 [palm-leaf]

Dharmapaalaavadaana [33]: Bir 29(d); BSP pra1697-ka2(2-4) = NGMPP-Card A936/2 [palm-leaf], BSP pra1433(2-5)[palm-leaf](未同定); NGMPP-Card D51/12

Maitrakanyakaavadaana [36]: Matsunami 171(Divyaavadaana, fols.51a-57a6), 380-V-a

%Sa%sakaavadaana [37]: Bir 29(c) = BSP t#r592(3-103) = NGMPP-Card B101/17; Matsunami 171(Divyaavadaana, fols.315a-318b6), 380-V-b

Paaniiyaavadaana [43]: %Saastrii 26 [→Handurukande(1982)]

Kaa%siisundaryavadaana [76]: BSP pra1697(kha2)(1-155) = NGMPP-Card B24/43 [palm-leaf]

Tib.:Toh 343, Ota 1012, N(K) 330, C 982, L 351

Jinamitra, Devacandra訳

Ch.:大正 200.  撰集百縁経(十巻)    呉 支謙 訳

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