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  3.Divyaavadaana  神々しきアヴァダーナ集

 Divyaavadaana を初めて研究したのは、フランスのE.Burnoufであった。1837年に、イギリスのネパール駐在事務官であったB. H. Hodgsonは、ネパールで現地人に写 させた梵語仏教文献の写本を、初め24本、次いで64本、パリのアジア協会に送った。当時 Coll#ege de Franceで梵語を教えていたBurnoufは、これらの写本を任されて、さっそく研究を始め、7年後の1844年に成果をまとめて『インド仏教史序説』として出版した<註1>。Hodgsonから送られた写本には、2本のDivyaavadaanaの写本が入っていたが、Burnoufはこの大部の作品を重視し、『序説』の執筆にあたって、Divyaavadaanaの翻訳をふんだんに中に盛り込んだ。彼の本の3分の1弱は、Divyaavadaanaの翻訳から出来ているといってよい。Divyaavadaanaの訳された箇所は、pp.209-245には(II) Puur#na、pp.169-172は (X) Me#n#daka、pp.144-168では (XII) Praatihaaryasuutra、pp.65-78では (XVII) Maandhaata、pp.79-87では (XX) Kanakavar#na、pp.280-299では (XXIII) Sa+ngharak#sita、pp.130-133, 319-333では (XXVI) Paa#m%supradaana、pp.333-370では (XXVII) Ku#naala、pp.370-379では (XXVIII) Viita%soka、pp.379-385では (XXIX) A%soka、pp.304-307では (XXXVII) Rudraaya#naである。(頁は第2版による。)

 一方、HodgsonがカルカッタのAsiatic Society of Bengalに送った86束170作品の写本を研究したのがR.Mitraである。Mitraは1882年に、写本カタログを兼ねてその中の95作品の内容梗概を、『ネパールの梵語仏教文献』という1冊の本にしたが<註2>、その中でDivyaavadaanaの異本たるDivyaavadaanamaalaaの全22章の内容を初めて紹介している。

 L. Feer(1883)は<註3>チベット大蔵経カンギュルの中から種々の経典を選んで仏訳したが、その中には、Divyaavadaana (XIV) Suukarikaaの単行のチベット訳(Toh 345, Ota 1014) からの仏訳も含まれている。

 テキストの出版はCowell・Neil(1886)によってなされた<註4>。彼らはケンブリッジ大学図書館所蔵のA写本および、CowellとNeil所有のB、C写本と、パリのアジア協会のD写本をベースにし、さらにパリの国立図書館のE、Fの2本の写本を参考にし、またペテルスブルクの1写本Pをも時折見て、原典を校訂した。F写本はDivyaavadaanaの別系統のヴァージョンDivyaavadaanamaalaaに属しており、Cowell・Neilは「付録C」に、F写本に見られる相違を報告している。このF写本を除いて、彼らの用いたすべての写本は、ただ1本のネパールにある17世紀に筆写されたオリジナル写本のコピーであるにすぎない。そのオリジナル写本には多くの箇所に欠損があったと推定されるが、Cowell・Neilはそれをそのまま残さざるを得なかった。梵本はそれらの欠損のため、チベット訳に残る対応する資料の絶えざる参照なしでは訳することができないことを、校訂者自身が認めている。校訂者はチベット訳・漢訳の資料を参照することをほとんどせずにすませたが、そのことは、Cowell・Neilのテキストに新たな原典批判の課題を残すこととなった。

 Cowell・Neil本の詩句索引はH. Wenzel(1886)が作成し、PTS協会誌に載せた<註5>。

 Windisch(1895)は<註6>『魔と仏陀』の第2章 (S.43ff.) において、Divyaavadaana (XVII) Maandhaata pp.200-208(この部分は阿含の借用箇所と思われる)を、Mahaaparinibbaanasuttanta第3 章(= Udaana 第6章の1)と、文面の比較をした。また、第6章 (S.161ff.) においては 、Divyaavadaana (XXVI) Paa#m%supradaana pp.356.14-364.3の部分を、独訳した。

 Speyer(1902)は<註7>Cowell・Neil本テキストに初めて原典批判を行った。テキストのほぼ全 体にわたって、99箇所の修正を提案した。続いて、Speyer(1906)は<註8>論文の付録として、再びCowell・Neil本テキストへの修正のリストを発表したが、そこでは、前の論文では欠けていた、(XXXVIII) Maitrakanyakaに対する原典批判が入れられている。

 Huber (1904)は<註9>、Divyaavadaana中の3つの説話が『大荘厳論』(Suutraala#mkaara)と共通してい ることに気付き、本来『大荘厳論』にあったものが、Divyaavadaanaに借用されたのであることを立証した。彼はその3つの説話、すなわちDivyaavadaana (XXVI) Paa#m%supradaana (pp.357-363) にあ たる「魔とウパグプタ」の話、(XXVII) Ku#naala (pp.382-384) にあたる「ヤシャス」の話、(XXIX) A%soka (pp.430-432) にあたる「半アーマラカ果の布施」の話を、漢訳『大荘厳論』から仏訳している。『大荘厳論』の訳された箇所は、それぞれ大正4巻 の307c-309bと273a-275aと283a-284cの部分である。(なおDivyaavadaanaの3つの対応部分はすでにWindisch(1895)とBurnouf(1944)によって訳されている。)

 次いでHuber(1906)は<註10>Divyaavadaanaのソースをさらに調査し、Divyaavadaanaの説話の半分、18話が根本 有部の律蔵から引き抜かれたものであることを、漢訳の根本有部律から確認した。また彼は特に (XIII) Svaagata, (XXI) Sahasodgata, (XXXV) Cuu#daapak#sa, (XXXVI) Maakandika, (XXXVII) Rudraaya#naの5話を選んで、根本有部律においてそれらの話が抜かれた元の場所と 、パーリ律における該当場所を提示して、律蔵の中におけるそれらの因縁譚のコンテキストを明らかにした。

 S. L+evi(1907)は<註11>さらにDivyaavadaanaの説話の源泉資料調べを進めて、律以外の漢訳仏典やHuberが見なかったチベット訳の根本有部律も調査し、Divyaavadaanaの全38話のうち21話が根本有部の律蔵に属することを確認した。また彼は残り17話についても、11話は律の以外の仏典において、対応している漢訳資料を見出した。対応する漢訳資料が見出しえなかった6話は、(VIII) Supriya, (XI) A%sokavar#na, (XV) Anyatamabhik#su, (XVI) %Sukapotakau, (XVIII) Dharmaruci, (XXXVIII) Maitrakanyakaであるが、そのうち(XI) A%sokavar#na, (XV) Anyatamabhik#su, (XVI) %Sukapotakauの3話は、どれも数ページの分量しかない、取るに足りない小品である。残る3話のうち(XXXVIII) Maitrakanyakaは、のちにHahn(1977)によって、本来Divyaavadaanaに属する作品ではないことが明らかにされ、Gopadatta のJaatakamaalaaに属する作品ではないかと推測された。

 なお、L+eviが作成したDivyaavadaanaの源泉資料の対照表は、『縮刷蔵』に出典の記述が基づい ており、現代の研究者には使いづらいため、現在では、高畠(1954)が<註12>Ratnamaalaavadaanaのテキストの末尾に付した、新しい対照表が使われている。この対照表は、L+eviの対照表を土台に、『大正蔵』の該当ページとチベット大蔵経『北京版』の該当葉面を記して作ったもので、大変便利である。またPanglung(1981)が<註13>作成した対照表には、『北京版』の該当箇所のほか、対応するギルギット写本のDutt本の巻数とページが示されている。

 J. Hertel(1908)は<註14> (XXVII) Ku#naalaの一部 (405.16-418.2) を訳した。

 W. Stevens(1911)は<註15>、Burnouf(1944)が訳した一連のアショーカ王伝説、すなわち (XXVI) Paa#m%supradaana・(XXVII) Ku#naala・(XXVIII) Viita%soka・(XXIX) A%sokaの部分の仏訳を、さらに英訳に重訳して、彼の『印度仏教の説話集』の中に収録した。

 H. Oldenberg(1912)は<註16>、彼が先にMahaavastuにおいて発見した、文体Aと文体Bとが区別できる、成立年代の異なる2つの層を、Divyaavadaanaにおいても確認した。

 榊亮三郎(1912-15)は<註17>、Divyaavadaanaの和訳ならびに解説を、4年間にわたって六条学報に連載したが、(1)Ko#dikar#naから始めて、(VIII)Supriyaの途中まで訳したところで、中断し た。

 M. Winternitz(1913)は<註18>『インド文献史』において、Divyaavadaanaの成立年代の決定のために、多くの文献学的な示唆を行った。

 Przyluski(1914)は<註19>西北インドを仏陀の聖地と見做そうとする意志が明らかに見える有部系の説話を、漢訳の律や経から集めて仏訳した。彼は漢訳『根本有部律』のほかに、Divyaavadaana (XXVI)〜(XXIX) のアショーカ説話と並行した異系のリセンションである漢訳『阿育王伝』(A%sokaraajaavadaana) から4つの話を紹介している。

 Gawro+nski(1919)は<註20>Divyaavadaanaの (XXVI)〜(XXIX) のアショーカ説話において、馬鳴のBuddhacaritaやSaundarananadaからの影響が見られることを指摘し、Divyaavadaanaのアショーカ説話部分の作者(あるいは編者)は、馬鳴よりも後の時代の人であったと結論した。またほかに、Divyaavadaanaの (XXXVIII) Maitrakanyaka と (XXII) Candraprabhabodhisattvacaryaa の章にも、馬鳴のBuddhacaritaからの影響を指摘しうる。

Ernst Leumann(1919)は<註21> (III) Maitreyaavadaana (特に pp.60-62)のテキストをコータン・サカ語のMaitreya-samitiならびに他のMaitreyaに関するパラレル、パーリの(DN26)Cakkavatti-siihanaada-sutta 754-773と Anaagatava#msaと漢訳4本と比較した。

 Gr%unwedel(1920)は<註22>『古代クッチャ』において、Qyzylの「船乗り洞窟」の壁画の説明 のために、Divyaavadaana (I) Ko#dikar#naと (XXXVIII) Maitrakanyakaを、独訳した(II. Teil, S.31-41 = Ko#dikar#na ; II. Teil, S.41-50 = Maitrakanyaka)。(I) Ko#dikar#naにおいては、彼はチベット訳も参照している。

 Bloomfield(1920)は<註23>、「家畜に酒を与えて興奮させる風習について」「阿羅漢の常套形容句 (epithet) について」「仏教梵語とジャイナ梵語のいくつかの相似について」「aasvaapanaの意味について」「個々のアヴァダーナが作者を異にしていることについて」「(Divyaavadaanaの テキストの)全体にわたる原典批判的所見」という、Divyaavadaanaについての6つの論考からなる 論文を発表した。

 Tucci(1922)は<註24>、Divyaavadaanaのいくつかの箇所について、並行する古い仏教資料の伝承との比較を行った。彼によれば、(XVIII) DharmaruciはMahaavastu に類似する説話がある。また、(XXXVII) Rudraaya#naは仏伝を模倣した節をもつ。またDivyaavadaanaとSuutraala#mkaara(大荘厳論)はいくつかの説話で、Vajrasuuciiを手本にしている。

 Przyluski(1923)は<註25>『アショーカ帝王の伝説』で漢訳を含めたアショーカ説話の研究を行った。その「序文」において、彼はマトウラー有部とカシュミール有部とを対置させた 上で、Divyaavadaanaはマトウラー有部で作られ、Divyaavadaanaのほとんどの説話は、今は失われたマトウラー有部の律蔵から抜き取られて成立したこと、また、根本有部の(現存する)律蔵は、その後にカシュミール有部において形成されたらしいことを主張した。<筆者メモ:この点再確認の必要がある> Przyluskiは第1部でA%sokaavadaanaの4つのリセンションの比較を行い、アショーカ説話の形成と編纂を明らかにしようとした。第2部では漢訳の『阿育王伝』 (漢訳 No.2042) を仏訳した。別の漢訳『阿育王経』を訳さなかったのは、『阿育王経』が梵本とよく合い、梵本と同一の系統と判断されたからである。

 このPrzyluskiの研究はアショーカ説話(A%sokaavadaana)の研究において最も重要な ものである。後にD. K. Biswas(1967)によって<註26>英訳されたが、この英訳には第2部の漢訳『阿育王伝』の翻訳は省かれている。

 ここで A%sokaavadaanaの作品について解説しよう。DivyaavadaanaのXXIX章にはA%sokaavadaana という単独の章があるが、一般にA%sokaavadaanaというときは、XXVI章からXXIX章までの、4章から成る一連のアショーカ説話をさす。すなわちPaa#m%supradaana (348.4-382.3)、Ku#naala (382.4-419.13)、Viita%soka (419.14-429.5)、A%soka (429.6-434) の4章である。これらをひとつの全体として扱うのは漢訳から見て適切であり、ここでも4章をまとめてA%sokaavadaanaと呼ぶことにする。A%sokaavadaanaは漢訳として、よく対応する3つのリセンションがある。

 

    (1)  大正 2042   阿育王伝(七巻)     西晋 安法欽 訳

    (2)  大正 2043  阿育王経(十巻)     梁  僧伽娑羅 訳

    (3)  大正 99   雑阿含経 第604・640・641経  劉宋 求那跋陀羅 訳

       (641経には「阿育王施半阿摩勒果因縁経」という経名がある)

さらに、Huber(1904)に基づいて、第4のリセンションも加えられよう。

    (4)  大正 201   大荘厳論[経](十五巻) 馬鳴菩薩  後秦 鳩摩羅什 訳

 大荘厳論は馬鳴の作とされるが、そのA%sokaavadaanaとの対応部分、 大正4 巻 274a-275a [= Kunaala], 283a-284c [= A%soka], 307c-309b [= Paa#m%supradaana] において、よくDivyaavadaanaと一致する。なおL%uders(1926)は<註27>、大荘厳論の梵本と思われる中央アジア写本断片Kalpanaama#n#ditikaaを発見し、発表した。L%udersは、Kalpanaama#n#ditikaaの中の、A%sokaavadaanaと対応する部分については、Divyaavadaana382.4-383.23, 363.23-26, 430.25-431.16, 433.9-12, 431.17-432.23, 358.3-363.6の部分と、比較照合した。

 Divyaavadaanaの章は根本有部律の中にある因縁譚より取られたものが大部分を占めるが、A%sokaavadaanaとよばれる4つの章は大きな例外であり、本来はDivyaavadaana以前に単独に成立した作品ではないかと思われる。Przyluskiはそれらの源泉を雑阿含経に求めたが、花山(1954)は <註28>漢訳『雑阿含』と同じ訳者・求那跋陀羅が訳出した『無憂経(一巻)』が、『雑阿含』の中に誤ってとり交ぜられて現経の『雑阿含』第604・640・641経となった可能性が強いことを 明らかにしたため、雑阿含起源説はもはや考えられず、単独で成立した経と見なすのが妥当である。現存する『阿育王伝』・『阿育王経』・Divyaavadaana・『雑阿含』の4種のA%sokaavadaanaは、ともに有部の内部で生じた異なるヴァージョンと思われるが、『阿育王伝』が『雑阿含』第604・640・641経と組織的に類似しており、一方『阿育王経』はよくDivyaavadaanaと一致することから、2種の系統に大別することができる。

 A%sokaavadaanaからDivyaavadaana全般の研究史に戻ろう。

 Nariman(1923)は<註29>彼の『梵語仏教の学術史』の第7付録において、Huber(1904)の『大荘厳論』(Suutraala#mkaara)の研究をとりあげ、Divyaavadaanaの3つの章がSuutraala#mkaaraから借用されたことを証明するHuberの意見を紹介した。彼は漢訳仏典の研究がいかに梵語仏典 の研究に役立つかを述べている。次いで第12付録では、Nariman自身がDivyaavadaanaの全体を通 読した時に気付いた、Divyaavadaanaの様々な記述を、覚え書き風にDivyaavadaanaのページ順に並べている。

 Zimmer(1925)は<註30>Divyaavadaanaの中から物語の技法の見事な4つの話を選んで翻訳し、『カルマン』という書名で出版した。訳されたのは、(XVIII) Dharmaruciと (XIX) Jyoti#skaと (XX) Kanakavar#na、ならびに (XXVI) Paa#m%supradaanaの一部である。

 Gr%unwedel(1925)は<註31>『アヴェスタの悪魔、それらと中央アジア仏教図像学との関連』において、Divyaavadaana (XXXVII) Rudraaya#naを独訳した。

 Ware(1928)は<註32>Cowell・Neil本で3ページしかない(pp.193-196)短い章である、(XIV) Suukarikaaを英訳した。彼は同時に、宋の法天が訳した「仏説嗟韈曩法天子受三帰依獲免悪道経」(大正 No.595)とチベット訳 Suukarikaa Avadaana(Ota 1014, Toh 345)とを参照し 、梵本との相違点を註記している。

 続いてWare(1929)は<註33>、やはりCowell・Neil本で3ページの(pp.481-483)短い章である (XXXIV) Daanaadhikaara-mahaayaanasuutraを英訳し、宋の法賢が訳した「仏説布施経」(大正 No.705)の英訳とチベット訳 Aaryaa-Daanaanu%sa#msaa-nirde%sa(Ota 850, Toh 183) の英訳も一緒に並べて、3つのヴァージョンを比較した。

 Przyluski(1929)は<註34>もう一度有部の律蔵におけるアヴァダーナの問題を取り上げた。彼は『大智度論』(大正25巻756c)の次の記事に着目する。「律に2種ある。マトウラー国の律 はアヴァダーナとジャータカを含むもので、八十部から成る。一方カシュミール国の律はアヴァダーナとジャータカを除去したもので、戒律のみを集めて十部から成るが、八十部の注釈 (Vibhaa#saa) を付けている。」Przyluskiは、この『大智度論』の記事を論拠に、 大胆な仮説を立てた。マトウラー有部の律に含まれていたアヴァダーナとジャータカはそれぞれ、*Avadaanamaalaaと*Jaatakamaalaaと(仮に)呼ばれるべき集成を形づくってい たであろう。現存のDivyaavadaanaとDivyaavadaanamaalaaは、どちらもマトウラー有部の*Avadaanamaalaaの一部が残ったものであると考えられる。根本有部の律はカシュミールで出来たが 、この根本有部律の(後代の)新しい形成において、マトウラー有部の律蔵における*Avadaanamaalaaと*Jaatakamaalaaの説話が流れ込んだ。従って、現存の根本有部律とDivyaavadaanaが一致するわけは、Divyaavadaanaの編纂者が根本有部律から材料を取ったからではなく、逆に、根本有部の編纂者が、Divyaavadaanaから、いや正確にいえば、より古いマトウラー有部の説話集*Avadaanamaalaaから、材料を取ったからである。このようにPrzyluskiは主張した。

 L+evi(1932)は<註35>、Citro%en隊の隊員から入手したギルギット写本の写真と写本1断片、 ならびにA. Steinの好意でBritish Museumから借りた17葉のギルギット写本を報告したが、そこにはDivyaavadaanaの (XXIII) Sa#mgharak#sita と (XIII) Svaagata に対応する根本有部律の一部分が含まれていることがわかった。

 Ware(1938)は<註36>(XXIII)Sa#mgharak#sitaの話の「前置き」にあたる部分が、梵本では欠損していて理解不可能であることから、その前置きにあたる部分を保っている漢訳「仏説因縁僧護経」(大正 No.749)から該当部分を英訳し、また「根本説一切有部毘奈耶出家事」 のチベット訳から、該当部分のチベット文テキストを取り出して英訳した(義浄の漢訳では該当部分は得られない)。こうして、梵本では断片としてしか知られないSa#mgharak#sitaの「前置き」にあたる部分が再現できる。

 Zinkgr%af(1940)は<註37>、Divyaavadaanaの(XXXIII)%Saarduurakar#naを特に取り上げて、この説話の 歴史的な発展を考察した。(XXXIII)%Saarduurakar#naにおいて、中核部分となっている「チャンダーラ娘の説話」は、Divyaavadaanaの編纂以前に、はるか古くまで成立が遡るものであるが、また、それはDivyaavadaanaの編纂に採用された以外に、多少姿を変えた別の説話 Padmaka-avadaanaとして、A%sokaavadaanamaalaaを経て、K#semendra作のAvadaanakalpalataaにまで受け継がれていっている。Zinkgr%afの研究は 、この説話の流れを「DivyaavadaanaからAvadaanakalpalataaへ」と追ったものである。 まず論文の第1部で、Divyaavadaana以前の説話の形態が探られる。%Saarduurakar#na説話の原初の形態は、「摩登伽経」など、大正 No.551, 552, 1300, 1301, 205, 1464, 2121, 2123の、8本の漢訳資料を比較して推測することができる。現在のDivyaavadaana (XXXIII) %Saarduurakar#naは、「チャンダーラ娘 Prak#rtiの説話」と、「マータンガ王 %Saarduurakar#naの説話」との、2つの説話が合わさって出来ているが、本来の形は前者の説話だけから成り、後者の説話は後から付加されたものである。Zinkgr%afは原型としてあった前者の説話を*Prak#rti-avadaanaと名付けた 。この*Prak#rti-avadaanaと極めてプロットが類似した説話が、A%sokaavadaanamaalaaおよびAvadaanakalpalataaに、Padmaka-avadaanaとして存在する。このPadmaka-avadaana の説話は、Divyaavadaanaと源を一にする、古い*Prak#rti-avadaanaから発した説話の、やや変化した形と考えられる。

 Zinkgr%afはPadmaka-avadaanaの研究を第2部で行い、A%sokaavadaanamaalaa26章Padmaka-avadaanaの梵文テキスト (Cambridge Add.1482の1写本に基づく)を初めて発表した。そしてA%sokaavadaanamaalaa26章Padmaka-avadaanaは、Avadaanakalpalataa99章Padmaka-avadaanaと、部分が逐字的に一致していることを発見し、K#semendraがAvadaanakalpalataaを作るにあたってA%sokaavadaanamaalaaを借用したものと推定した<註38>。Zinkgr%af は第3部で、以上の全体の論旨をもう一度まとめ直している。

 Thomas(1940)は<註39> (XXXVI) MaakandikaのCowell・Neil本 p.519にある韻文について、いくつかの読みの修正を提案した。

 Thomas(1941)は<註40>Divyaavadaanaに四度出てくる (p.97, 180, 282, 551)、阿羅漢になった者への一連の呼び名 (epithet) としての、Traidhaatukaviitaraaga#h samalo#s#dakaa%ncana aakaa%sapaa#nitalasamacitto vaa%siicandanakalpo vidyaavidaaritaa#n#dako%so vidyaabhij%na#h pratisa#mvitpraapto...という形容を考察した。

Kenneth Ch'en(1947)は<註41>、Divyaavadaana (XIII) Svaagataを、他の部派の律蔵のSvaagata物語と比較し、また漢訳とチベット訳の「根本説一切有部毘奈耶」と比較して、それらの間の相違を、漢訳 (大正 23, 857a-860a) からのSvaagataの英訳に付けた註記として、詳細に報告した 。そして結論として各ヴァージョンの系統分けを行い、諸部派の律蔵における伝承を2つの大きなグループに分けた。すなわちパーリ律・四分律・五分律と、鼻奈耶・十誦律とのグループである。また各律蔵におけるSvaagata物語の伝承を、古さの順に、パーリ律・四分律 → 十誦律 → 根本有部律と、順序づけた。

 E. J. Thomas(1950)は<註42>『悟りを求めて』というアンソロジー集の中に、Divyaavadaana (II) Puur#na [37.5-40.14] と(XXVI) Paa#m%supradaana [352.28-356.5] の部分を英訳した。

 Shacklton Bailey(1950-51)は<註43>DivyaavadaanaのI〜VII, IX, X, XXX, XXXIの、全部で11の章におい て、Cowell・Neil本とチベット訳の根本有部律を綿密に照合して、梵本の側の脱漏・誤写のためチベット訳の文面と相違していると思われる箇所について、原典批判に役立てるために、梵文とチベット文を並べて提示し、しばしば新しい梵文の読みを提案した。また彼は、同じ様に根本有部律に基づいている (XVII) Maandhaata, (XXIII) Sa#mgharak#sita, (XXIV) Naagakumaaraの章では、律資料が故意に縮約されて使われていることを指摘する一方、Divyaavadaanaの他の章においては律からそのまま書き移されていることを確認した。

 高畠寛我(1952)は<註44>Ratnaavadaanamaalaa第6章Suukaryavadaanaとともに、Divyaavadaana (XIV) Sukaarikaaを和訳した。

 善波周(1952)は<註45>漢訳『摩登伽経』を、Divyaavadaana (XXX) %Saarduulakar#naの梵本写本ならびにチベット訳と照合し、「印度の二十八宿」「三種のヨーガ」「七曜」「冬至・夏至・季節」「棒の影の長さ」「閏年」「人影測定」「時間」「尺度里程」等の天文暦数に関する記事を紹介した。

 Waldschmidt(1952)は<註46>Divyaavadaana (I) Ko#dikar#na と対応する、有部の「十誦律」の同じ説話 (大正23, 178a-182a) の梵語の中央アジア出土断片 (M 655) 1葉を初めて報告した。そして根本 有部律の皮革事に伝承されたDivyaavadaana (I) Ko#dikar#naと、有部「十誦律」に伝承された中央アジア断片のテキストの比較を試みた。彼はDivyaavadaana10.29-12.14を独訳している。

 Weller(1953)は<註47>Divyaavadaana (XVIII) Dharmaruciの中の、Stuupaの個々の部分の名称が出てくることで有名な、Stuupaの改築方法を語る244.7-14 (Cowell・Neil本) の箇所を、Foucherの翻訳を踏まえて、新たに解釈し訳し直した。しかしAlsdorf(1955)は<註48>さらに、Wellerの読み方も批判して、再度テキスを解釈し直した。

 Kenneth Ch'en(1953)は<註49>、Divyaavadaanaの (IX) Me#n#dhakag#rhapativibhuutipariccheda, (X) Me#n#dakaavadaanaの2章にまたがるMe#n#dhaka物語について、パーリ、漢訳ならびにチベッ ト訳の資料における並行ヴァージョンとの比較を行い、先にCh'en(1947)の論文で結論さ れた、パーリ律・四分律・五分律の伝承の近さ、十誦律と根本有部律の近さを、再びここでも結論として確認した。次に、Divyaavadaanaと、根本有部律のギルギット写本の対応部分と、チベット訳の三者を比較照合し、有効な異読が得られる箇所について、三者の読みを示した。Divyaavadaanaよりもチベット訳の方がはるかにギルギット写本に一致していることから、Divyaavadaana校訂におけるチベット訳の優位性・安全性が確かめられる。

  S. Mukhopaadhyaaya(1954)は<註50>Divyaavadaanaでもっとも長編の章である (XXXIII) %Saarduulakar#naを、2本の梵文写本、Asiatic Society of Bengal写本 (B)とパリのSoci+et+e Asiatique(P)に基づき、4種類の漢訳と1本のチベット訳を参照して、校訂し出版した。この%Saarduulakar#naの章は、Cowell・Neil本では、写本が不良であったため、校訂が放棄され、ただテキストの前半と末尾の部分のみが「付録A」として収録されたにとどまったものである。Mukhopadhyayaの使ったP写本は、Cowell・Neil本でもD写本の名で使われているのであるが、新たな写本Bは、それよりやや良好な写本であり、さらに漢訳とチベット訳の助けを借りることによって、章全体の校訂まで漕ぎつけたのであった。用いられた漢訳は、大正 No.551, 552, 1300, 1301の4経で ある。またチベット訳は、この章の部分のみの訳 %Saarduulakar#naavadaana(Toh 358、 Ota 1027) があり、それを用いた。

 Nobel(1955)は<註51>Divyaavadaana (XXXVII) Rudraaya#naのチベット訳校訂テキストとその独訳を第1巻とし、チベット訳の語彙をすべて採った辞書を第2巻として、出版した。チベット訳テキストは北京版・ラサ版・ナルタン版のカンギュル、ならびにベルリンのカンギュルの写本を校合して校訂したもので、さらに梵本の原典批判を含む文献学的な註をつけて、チベット訳を逐字的に独訳している。また第2巻の辞書は、すべてのチベット語の語彙の出典箇所を記し、ドイツ語の訳語のほかに、一々対応する梵文の原語を挙げている。Nobelはチ ベット訳との比較によって、梵本が多くの欠落をもつ損なわれたものであることを確かめ、チベット訳との照合の重要性を強調した。なお、主人公のUdraaya#na王が住む地名Rorukaは、先にHuberとL+eviによって、玄奘の旅行記に基づいて、中央アジアのコータンの近くに比定されたのであるが、Nobelはこの 問題を再検討して否定した。

 Brough(1957)は<註52>、Divyaavadaana (XXXVIII) Maitrakanyakaを研究したが、その論文は前半部と後半部に分けられる。前半部において、彼はDivyaavadaanaのMaitrakanyakaという名を、Mitrayuという名祖(なおや)から出た父系語の名と考えることで、パーリ・ジャータカのMittavindakaと似た意味になることから、両方の名前の伝承の接続点を見出した。またSpeyer(1906)がMaitrakanyaka物語において北伝を優先させ、太陽神話の反映を見てとったことに対して、批判的な論評を行った。次に論文の中心となる後半部で、(XXXVIII) Maitrakanyakaの原典批判を、Speyer(1906)の後を受けて、新たに行った。

 Vaidya(1959)は<註53>Cowell・Neil本Divyaavadaanaテキストの、デーヴァナーガリー文字によるインド からの出版を行ったが、単なるコピーではなく、かなりの改善がテキストに加えられた。Cowell・Neil本では散文の中に気付かれずに埋もれてしまっていた韻文が多く掘りだされ、読みが若干修正されている。ただ、Cowell・Neil本が出版されてから半世紀の間に諸学者によって蓄積された原典批判の成果を、Vaidyaは参照していないのが惜しまれる。このVaidya本では新たに詩節索引と難解な語彙のグロッサリーが付けられ、またCowell・Neil 本では(部分が付録に収められているだけで)欠落している(XXXIII) %Saarduulakar#naの章は、Mukhopaadhyaaya(1954)が出版したテキストからそのまま収録されている。

 Agrawala(1959)は<註54>Divyaavadaana 359.19 Ma#n#dalin の語を考察した。

 S. Mukhopaadhyaaya(1963)は<註55>Divyaavadaana (XXVI) Paa#m%supradaanaから (XXIX) A%sokaまでの、い わゆるA%sokaavadaanaを再校訂した。この再校訂はCowell・Neil本テキスト(に記録されたABCDEの5本の写本の読み)に基づき、さらに新たにAsiatic Society of Bengal の2本の写本、MAとM8を用い、他に漢訳「阿育王伝」と、まれに「阿育王経」も参照して行われた。Asiatic Society of BengalのMA写本 (G9982A) とM8写本 (A.8) はどちらもDivyaavadaanamaalaaの写本であるが、A%sokaavadaanaの範囲に限ると、MA写本は(XXVI)Paa#m%supradaanaの一部のみ、 またM8写本は (XXVIII) Viita%sokaと (XXIX) A%sokaの部分だけを有しており、どちらにも (XXVII) Ku#naalaの部分 が欠けている。両写本は、価値のある異読をあまり提供しない。従って不明の箇所はむしろ漢訳から示唆を得たという。「阿育王伝」はPrzyluski(1923)の仏訳があるため特に利用し、この「阿育王伝」におけるDivyaavadaanaとの相違は詳細に脚注に註記された。(しかし他の漢訳はほとんど利用されなかった。チベット訳も、(XXVII) Ku#naalaの部分のみが単独で 存在しており(Toh 4145、Ota 5646)、漢訳よりも原典批判に役立つにもかかわらず、Ku#naalaの部分の校訂において利用されなかった。)このMukhopaadhyaayaの刊本は、Cowell・Neil本と異なり、すべての写本が伝える(XXVII)Ku#naalaと(XXVIII)Viita%sokaの章の順序を、故意に逆転させた。これは漢訳2本に見られる 古い形に(大まかに)従ったものである。

 このMukhopaadhyaayaのテキストに対しては、de Jong(1970)の重要な書評があるが<註56>、その詳細な批判はまたA%sokaavadaanaの研究史と将来の課題を知るのに役立つ。現在においてA%sokaavadaanaの原典研究を行う場合には、Mukhopaadhyaayaのテキストを使うよりも 、Cowell・Neil本テキストを底本にして、諸学者の原典批判の成果を参照する方が望まし い。

 Agrawala(1963)は<註57>Divyaavadaana (p.45) patracaarikaa, haritacaarikaa, bhaajanacaarikaaの用例に見られる、仏教梵語 -caarikaの語の意味を研究した。彼は「手に手にめでたい品物を持って、行列をつくって進む人」と解釈する。。

 Bongard-Levin ・Volkova(1963)は<註58>、A%sokaavadaanamaalaaの (V) Ku#naala の原典を初め てロシア語訳を添えて出版したが、詩形改稿本たるA%sokaavadaanamaalaaの (V) Ku#naala のテキストは、その元本のDivyaavadaana (XXVII) Ku#naala のテキストと、左右に対照させられて記 された。ここで、DivyaavadaanaはAvadaanakalpalataaから1詩節と半分を借用していることが発 見され(Divyaavadaana 417.22-27=Avadaanakalpalataa 59.160cd, 161)、現在のDivyaavadaanaは写本の伝承の途中で、 11世紀〜17世紀の間に、写本の筆写生あるいは編纂者によってAvadaanakalpalataaに基づいて改竄されたことが判明した。

 奈良康明(1966)は<註59>中村元編『仏典I』の中に、Divyaavadaana (XIX) Jyoti#ska と (XXX) Sudhanakumaaraの章を和訳した。同じ2章の翻訳は、奈良(1988)の<註60>『仏弟子と信徒の物語 −アヴァ ダーナ−』に、若干改訂して収められた。

 Agrawala(1966)は<註61>F. Edgertonに倣った仏教梵語の語彙研究の一環として、Divyaavadaanaから採った32の語彙の意味を検討した。

 岩本裕(1967)は<註62>アヴァダーナ文献全体にわたる研究を集大成して『仏教説話研究序説』として出版した。Divyaavadaanaの研究は第3章にあてられている。第3章で岩本はDivyaavadaanaとDivyaavadaanaの異系の伝本Divyaavadaanamaalaaとの、6種の写本を比較し、Divyaavadaanaの原型を、(I) %Sro#nako#tikar#na と(II) Puur#naを冒頭に置き、それにA%sokaavadaanaなど数篇の単行のアヴァダーナとし て行われたものが付加されて成立した作品であると推定した。

 S. Mukhopaadhyaaya(1967)は<註63>、1954年に出版した (XXXIII) %Saarduulakar#naのテキ ストに対する続編として、その内容についての詳細な研究を行った。%Saarduulakar#naの前世物語では、バラモン族が専有していた学問知識が、よりによって栴陀羅王によって見事に語られるのであるが、そこで挙げられたヴェーダ的なトピック・天文学的なトピックについて、バラモン側の他の資料との比較をMukhopaadhyaayaは行った。

 Waldschmidt(1968)は<註64>、Divyaavadaana (XXXVI) Maakandikaと (XXXVII) Rudraaya#naの(根本有部系 の)ヴァージョンと対応する、有部の「十誦律」のUdayana説話部分(大正 23, 125c-126b)の 、中央アジア梵文断片5葉(Kat.-Nr. 1097, 1098 d, e, f, g)を発表した。彼は第3部において、梵文断片に見られる有部の伝承と、Divyaavadaanaに見られる根本有部の伝承とを比較して、相違点と類似点を明らかにしている。

 岩本(1974)は<註65>「仏教聖典選」第2巻の『仏伝文学・仏教説話』において、Divyaavadaana (I) Ko#tikar#naの現在物語、(II) Puur#na全編、(XXX) Sudhanakumaaraの現在物語、(XXVII) Ku#naalaの一部を和訳した。

 V. N%ather(1975)は<註66>、Sir Aurel Steinが入手してBritish Museumに送られ、Or.11878Aとして記録された11葉の根本有部律の写本(先にS. L+evi(1932)によって、その4葉半の部分のテキストと仏訳が発表されていた)のテキストを校訂し独訳した。その写本の大半はDivyaavadaanaの (XXV) Sa#mgharak#sitaavadaana と (XXIV) Naagakumaaraavadaana にあた る部分である。

Hahn(1977)は<註67>、Divyaavadaanaの中でも異質で、むしろJaatakamaalaaに形式が類似する (XXXVIII) Maitrakanyakaの章を、もともとBodhisattvajaatakaavadaanamaalaaの写本にあったものが、ネパールにおける写本伝承の過程で誤ってDivyaavadaanaの写本に紛れ込んだものであることを明らかにした。Bodhisattvajaatakaavadaanamaalaaは、Haribha#t#taのJaatakamaalaaから11話、未知の作者のJaatakamaalaaから2話を取って、はりあわせて作った写本集成 であるが、特にMaitrakanyakaの部分は、未知の作者のJaatakamaalaaから取った部分で あるため、恐らくそれはGopadattaの作ったJaatakamaalaaの一部であったとHahnは推定した。この発見で、Divyaavadaanaの最終章たるMaitrakanyakaはDivyaavadaanaの一部ではなくなり、Divyaavadaanaは全 部で37章の作品となった。

 宮治昭(1979)は<註68>Divyaavadaana(XII)Praatihaaryasuutraを和訳した。

 定方晟(1982)は<註69>Divyaavadaana(XXVI)Paa#m%supradaanaから(XXIX)A%sokaまでの、A%sokaavadaanaを、Vaidya本のみに基づいて、『アショーカ王伝』として和訳し出版した。

 Simson(1982)は<註70>(XXXVII)Rudraaya#naについて、テキストの背後にあるシンボリックな 意味を捉えようとした。彼は「王舎城が衰える時、ロルカ城が栄え、ロルカ城が衰える時、王舎城が栄える」という冒頭の文から、物語に太陽の運行の周期性が暗示されていると解し、ロルカ王ウドラーヤナを「太陽の冬至から夏至への運行 (uttaraaya#na)」、王舎城王のビンビサーラを「太陽の夏至から冬至への運行 (dak#si#naayana)」と見て、物語の秘められた構造を説明しようとした。

 Strong(1983)は<註71>DivyaavadaanaのA%sokaavadaanaの研究書『アショーカ王の伝説』を出版した。前半の第1部は梵本A%sokaavadaanaから読み取れるインド文化史的な事実についての5つの論考から成る。後半の第2部はA%sokaavadaanaすなわちDivyaavadaana (XXVI) Paa#m%supradaana〜(XXIX) A%sokaの部分の、Mukhopaadhyaaya校訂本に基づいた(初めての)英訳である。

 Klaus(1983)は<註72>、Divyaavadaanaには属しないことが判明した(XXXVIII) Maitrakanyakaの章を、Gopadattaの作ったJaatakamaalaaの一部であると推定したM. Hahn(1977)の意見を検証するた めに、この章のみを単独に取り上げて再校訂し独訳した上で、Gopadattaのものと見なされた他の13話の作品と比較研究を行い、質的同一性を確かめようとした。

 村上真完(1984)は<註73>、ベゼクリク第九号窟寺のディーパンカラ仏の誓願画に対する研究として、Divyaavadaana (XVIII) Dharmaruci (pp.246-254)を和訳し、「増壱阿含」巻11ならびに「過 去現在因果経」巻1に見られるディーパンカラ仏授記の物語と比較した。

 Sharma(1985)は<註74>DivyaavadaanaとAvadaana%satakaを主な資料として、アヴァダーナ作品に反映している古代インドの政治・経済・社会生活を研究した。

 『仏教説話大系 第25巻 アバダーナ物語(一)』では、Divyaavadaanaの第1・2・3・7・12・19・30章が抄訳され、また『第23巻 世界のジャータカ(一)』ではDivyaavadaanaの第32章が抄訳された<註75>。

Skt. MSS.:

Filliozat 53-55 [→MS.E];

Matsunami 170, 171<註76>;

Bendall Add.865 [→MS.A];

Bir 79(a), (b);

SA 5 [→MS.D];

Thomas 8220; Takaoka KA47 = NGMPP-Card E594/8-595/1 [408 fols.]

MSS.of Parts:

(%Sro#na)ko#tikar#naavadaana [Ch.1]: Matsunami 398; IASWR MBB II-66; Bir 79(g); Takaoka DH317G; BSP t#r594(3-117) = NGMPP B101/7; NGMPP-Card E1487/4, E1848/9

Puur#naavadaana [Ch. 2]: Takaoka CA 44-4; NGMPP-Card E264/18

Braahma#nadaarikaavadaana [Ch. 4]: Matsunami 29-I

Stutibraahma#nadaarikaavadaana [Ch. 5]: Matsunami 29-II

Indro naama braahma#naavadaana [Ch. 6]: Matsunami 60

Nagaraavalambikaavadaana [Ch. 7]: Matsunami 204

Supriyamahaasaarthavaahaavadaana [Ch. 8]: Matsunami 478

Supriyaavadaana [Ch. 8]: IASWR MBB-II-160(未同定)

Svaagataavadaana naama trayoda%sa [Ch. 13]: Takaoka CA44-3; NGMPP-Card E264/14, D64/4

Maandhaataavadaana [Ch. 17]: Matsunami 303; Kodama 9

Dharmarucyavadaana [Ch. 18]: Matsunami 187

Jyoti#skaavadaana [Ch. 19]: Bir 109; Matsunami 380-III; NGMPP-Card H207/3 [Skt.+Nw.?]

Kanakavar#naavadaana [Ch. 20]: NGMPP-Card E264/16(未同定)

Sa#mgharak#sitaavadaana [Ch. 23]: Matsunami 406

Paa#m%supradaanaavadaana [Ch. 26]: Durbar<1905> p.89 [= Durbar p.10 = NGMPP A38/14]; NGMPP-Card A127/7 (= pa244)

Ku#naalaavadaana [Ch. 27]: Durbar<1905> p.89 [= Durbar p.10](未同定)

Viita%sokaavadaana [Ch. 28]: Matsunami 380.II-a

A%sokaavadaana [Ch. 29]: Matsunami 380.II-b; ASB p.244

Sudhanakumaaraavadaana [Ch. 30]: %Saastrii 23; Goshima・Noguchi 126; Takaoka CA 44-1; NGMPP-Card D57/8, E264/13, E651/3, E1354/6, E1361/15, H160/1 (ただしこれらの写本の中にはRatnaavadaanamaalaaのSudhanakumaaraavadaana, あるいはA#s#tamiivrataの一部としてのNewaarii Versionも混じっている可能性がある)

Ruupavatyavadaana [Ch. 32]: Matsunami 320-I; Takaoka KA44H; Durbar<1905> p.89 [= Durbar p.10]

Ruupavatiijanmaavadaana [Ch. 32]: Takaoka A35

%Saarduulakar#naavadaana [Ch. 33]: Filliozat 132; Leningrad 4; BSP ca270(3-104) = NGMPP-Card A125/14; SBLN 62 [→B]; Goshima・Noguchi 106; Takaoka CA27; ASB p.255; NGMPP-Card E265/5

Rudraaya#naavadaana [Ch. 37]: Matsunami 380.V-c; Bir 204; BSP t#r592(2-204) = NGMPP-Card A919/15

Maitrakanyakaavadaana [Ch. 38]: Bir 154; Bendall Add.1042; NGMPP-Card A919/14(= pa70)

Divyaavadaanaadi-prakiir#na-patra: Bir 79(h); BSP t#r737(1-305) = NGMPP-Card B24/49

Fragments of Divyaavadaana: Bendall Add.1680-III

 中央アジア出土の梵語断片の中に、Divyaavadaanaとよく一致する断片がTurfan I〜 VIに報告さ れている。それは、以下のとおり。

(I) Ko#tikar#na ‥‥ Turfan I 598

(VIII)Supriya ‥‥ Turfan III 873(完全には一致しない)

(XIII)Svaagata ‥‥ Turfan V 1124

(XXI)Sahasodgata ‥‥ Turfan V 1330; V 1524

(XXXV)Cuu#daapak#sa(Cuu#dapanthaka) ‥‥ Turfan V 1349(+1465+1516)

一方、次の断片はDivyaavadaanaと話が対応するが、異なる伝承に属し、一致はしない。

(I) Ko#tikar#na ‥‥ Turfan I 591

(XVII)Maandhaata ‥‥ Turfan I 558 = IV 558; V 1162

(VIII)Supriya /(XXXVI)Maitrakanyaka ‥‥ Turfan V 1425

次の表は、Divyaavadaanaの一部分にあたる漢訳ならびに近代語訳を、Divyaavadaanaの章と対照させたものである。

          

                  
Divyaavadaanaの章 対応する漢訳資料(大正)とGilgit MSS. (Dutt.III) 近代語への翻訳

1 Ko#tikar#na  皮革事(23,1048c-1053c)
GM pt.4, p.159 
榊(1912-15); Gr%unwedel(1920);
岩本(1974)
2 Puur#na 薬事(24, 7c-17a) Burnouf(1844);
榊(1912-15);
Thomas(1950);
岩本(1974)
3 Maitreya 薬事(24, 23c-26a) 榊(1912-15)
4 Braahma#nadaarikaa 薬事(24, 36a-37a) 榊(1912-15)
5 Stutibraahma#na 薬事(24, 37c-38a) 榊(1912-15)
6 Indrabraahma#na 薬事(24, 38a-b, 23a-c) 榊(1912-15)
7 Nagaraavalambikaa 薬事(24, 53c-56a)
GM pt.1, p.79
榊(1912-15)
8 Supriyaa 榊(1912-15)
9 Me#n#dhakag#rhapati-
vibhuutipariccheda
薬事(蔵訳のみ、
Ota No.1030,
Ne 26a-32b)
GM pt.1, p.241
10 Me#n#dhaka 薬事(同上) 
GM pt.1, p.250
Burnouf(1844)
11 A%sokavar#na 平岡(1991a)
12 Praatihaaryasuutra 雑事(24, 329a-333c) Burnouf(1844);
宮治(1979)
13 Svaagata 毘奈耶(23, 857a-860a) Ch'en(1947)
14 Suukarikaa 嗟韈曩法天子…獲免悪道経 (15, 129b-130b) Ware(1928); 高畠(1952)
15 Anyatamabhik#su
(Cakravartivyaak#rta)
16 %Sukapotakau
17 Maandhaata 雑事(24, 387c-389a)仏説頂生王因縁経(3, 393a-406b) Burnouf(1844); Schiefner(1882)
18 Dharmaruci Zimmer(1925); 村上(1984)
19 Jyoti#ska 雑事(24, 210c-217b) Zimmer(1925); 奈良(1966)(1988)
20 Kanakavar#na 金色王経(3, 388a-390c) Burnouf(1844); Zimmer(1925)

21 Sahasodgatasya
prakara#na
毘奈耶(23, 810c-814b)
22 Candraprabha-
bodhisattvacaryaa
月光菩薩経(3, 406c-408a)
23 Sa#mgharak#sita 出家事(23, 1035b-1038b)
GM pt.4, p.28
仏説因縁僧護経(17.565-572)
Burnouf(1844); N%ather (1975)
24 Naagakumaara 出家事(同上) GM pt.4, p.48
仏説因縁僧護経(同上)
N%ather (1975)
25 Sa#mgharak#sita-
avadaanasya %sesa
出家事(同上)
GM pt.4, p.47
仏説因縁僧護経(同上)
26 Paa#m%supradaana 阿育王経
(50, 131-149)
阿育王伝
(50, 99-111)
雑阿含経
(2, 161-170, 181-182)
Burnouf(1844); Windisch(1895);Stevens(1911); Zimmer(1925);Thomas(1950); 定方(1982);Strong(1983)
27 Ku#naala 阿育王経(同上)
阿育王伝(同上)
雑阿含経(同上)
Burnouf(1844); Hertel(1908);Stevens(1911);
岩本(1974);定方(1982); Strong(1983)
28 Viita%soka 阿育王経(同上)
阿育王伝(同上)
Burnouf(1844); Stevens(1911); 定方(1982); Strong(1983)
29 A%soka 阿育王経(同上)
阿育王伝(同上)
雑阿含経(同上)
Burnouf(1844); Stevens(1911);定方(1982); Strong(1983)
30
Sudhanakumaara I
薬事(24, 59b-64c)
GM pt.1, p.123
奈良(1966)(1988); 岩本(1974); Schiefner(1882)
31 Toyikaamaha
(Sudhanakumaara II)
薬事(24, 52a-53c)
GM pt.1, p.68
32 Ruupavatii 銀色女経
(3, 450a-452a)
33 %Saarduulakar#na 摩登伽経
(21, 399a-410b)
舎頭諌太子二十八宿経(21, 410b-419c)
34 Daanaadhikaara
mahaayaanasuutra
仏説布施経
(16, 812c-813b)
Ware(1929)
35 Cuu#daapak#sa 毘奈耶(23, 794c-803c)
36 Maakandika 毘奈耶(23, 886a-893c)
37 Rudraaya#na 毘奈耶(23, 873b-882a) Burnouf(1844); Gr%unwedel(1925);
Nobel(1955)
(38) Maitrakanyaka Gr%unwedel(1920); Klaus(1983) 

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