チベット大蔵経テンギュル部には、12世紀の中頃に訳されたと思われるHaribha#t#taのJaatakamaalaaの翻訳が収められている(東北 4152)。このチベット訳に注目して、初めて作品の 紹介を行なったのはF. W. Thomas(1904)であった<註1>。Thomasは作品の意図および著者についてなにがしかの情報を与えてくれる、冒頭の8詩節と散文、および第35章末のコロフォンを形成する4詩節と訳出時の付加らしい3詩節の、原文と英訳を示した。コロフォンにおいてHaribha#t#taは王子と呼ばれており、王族の出身だったらしい。彼は仏陀の教説のほか文法等の教養を身につけ、詩人たちから月のごとく仰がれる詩人であったが、カシュミールで苦しみを経験し、そのためヒマラヤへ旅立ち、そこで命を棄てたという。
Haribha#t#taのJaatakamaalaaの作品の、本格的な研究は近年になってM. Hahnにより始められた。
Hahn(1971)は<註2>古典チベット語の教本の教材として、Haribha#t#taのJaatakamaal
aaから2話のテキストを取っている。使われたのは、
21. Dardara
31. Sugata (後にUdayaと訂正)
のチベット訳であり (pp.225-237)、語学的解説が付けられている (pp.243-250)。
上の2話では異読ならびに独訳は示されなかったが、Hahnはその後、上の2話を含む4話のチベット訳校訂テキストを、並行話との比較研究・異読・独訳・グロッサリーを付けて、一連の論文として (I〜 IV) 発表した。次の4話である。
30. Aadar%samukha ‥‥Hahn(1973), I <註3>
14. %Syaama ‥‥Hahn(1976), II <註4>
21. Dardara ‥‥Hahn(1979), III <註5>
31. Udaya ‥‥Hahn(1980), IV<註6>
1976年にHahnはHaribha#t#taのJaatakamaalaaの梵本を発見し、上の14.%Syaamaの論文におい て追記を書き付けて、全部で11話の梵本が得られたことを報告した。発見の詳細は、パリで1977年に行なわれたサンスクリット学の第3回国際大会で発表され、『Haribha#t#taとGopadatta: Aarya%suuraを継承する2人の著作家 --- 彼らのJaatakamaalaaの一部の発見について』として、1977年に国際仏教学研究所から発行され、1992年にはその改訂増補版が出された<註7>。
Hahnは1977年の初めの版で、Haribha#t#taのJaatakamaalaaの11話と、GopadattaのJaatakamaalaaの14話の梵文テキスト が回収できたことを報告している。ただし、HahnによってGopadattaのJaatakamaalaaに帰された14話は、チベット訳Haribha#t#ta Jaatakamaalaaから確認できたHaribha#t#taの11話ほど確実でなく、あくまで推定によってGopadattaのJaatakamaalaaとみなされたものである。1992年の改訂版ではさらに3話増え、17話のテキストがGopadattaに帰されるに到った。
Hahnは、これまで関心が払われなかったネパールの3種のavadaana集成
(1) Jaatakamaalaavadaanasuutra
(2) Avadaanasaarasamuccaya
(3) Bohisattvajaatakaavadaanamaalaa
が、ジャータカマーラー類をつなぎあわせて作られていることに気づいた。この中に、Haribha#t#taとGopadattaのJaatakamaalaaの一部があったわけである。
3種のavadaana集成を説明すると、
(1) Jaatakamaalaavadaanasuutra(JMAS)は、1話〜34話が Aarya%suuraのJaatakamaalaaにあたり、35話〜43話がGopadattaのJaatakamaalaa、44話〜53話および55話がHaribha#t#taのJaatakamaalaaにあたる。54話はDivyaavadaana (DA) の38話Maitrakanyakaであるが、これは DAに誤って属しているので、実はGopadattaのJaatakamaalaaの一部であったと推測される。写本は龍大とNational Archivesと東大に1写本づつ、計3写本がある(Sanada 608 = JMAS1、BSP t#r241(1-258) = JMAS2、Matsunami 139 = JMAS3)。
(2) Avadaanasaarasamuccaya(ASS)は、1話〜5話がGopadattaのJaatakamaalaa、6話〜14 話がHaribha#t#taのJaatakamaalaaにあたる。写本は Cambridgeに1写本がある(Bendall Add.1598)<註8>。
(3) Bohisattvajaatakaavadaanamaalaa(BJAM)は、1話〜10話と12話がHaribha#t#taのJaatakamaalaaにあたる。11話は、本来GopadattaのJaatakamaalaaの一部であったと推測される、Maitrakanyaka (DA 38話) であるが、現存の写本ではその部分が欠けている。欠けているのはその部分の葉が誤ってDAの写本に付加されてしまったためである。写本はNational Archivesに2写本ある(NGMPP B98-4 = BJAM1、NGMPP B96-11 = BJAM2)。
これらのavadaana集成に借用されたJaatakamaalaaの部分は、特にHaribha#t#taのJaatakamaalaaの部分において、ぴったりと借用が重なり合う。そのため下表のように、Haribha#t#taのJaatakamaalaaは、3種 のavadaana集成を合わせても、合計11話が回収されるにすぎない。
JMAS(No.)・ ASS(No.)・ BJAM(No.)・ Haribha#t#ta (No.Titile)
45 ・ 7 ・ 2 ・ 4 %Sa%sa
46 ・ 8 ・ 3 ・ 5 Candraprabha
47 ・ 9 ・ 4 ・ 6 Ruupyaavatii
48 ・ 10 ・ 5 ・ 11 M#rga
49 ・ 11 ・ 6 ・ 19 Hastin
50 ・ 12 ・ 7 ・ 20 Candra
51 ・ 13 ・ 8 ・ 22 Hari#nam#rga
52 ・ 14 ・ 9 ・ 12 Mayuura
53 ・ ・ 10 ・ 32 Si#mha
54 ・ ・ (11) ・
55 ・ ・ 12 ・ 35 %Saakyasi#mha
56 ・ ・ 13 ・
これらのavadaana集成における、Jaatakamaalaaの借用部分の一致は、それらが共通のソースから筆写されたためと考えられる。これらネパールで編纂されたavadaana集成の間の関係は、どのようなものであろうか。
BJAMの各章のコロフォンに記された章の番号は、実際の順番には従わず、チベット訳から確かめられるHaribha#t#taのJaatakamaalaaの章の番号に従っている。このことから、BJAMは直接に、Haribha#t#taのJaatakamaalaaから一部を借用したことが知られる。そして上の表で見たように、JMASとASSの2つのavadaana集成は、BJAMに借用部分と順序が一致しているわけであるから、それらはBJAMから再借用したのであると説明できる。もっともJMASとASSが基づいたBJAMは、National Archivesに現存している2写本 のどれでもなく、それらの元になった写本であろうと推測される。その元になった写本では、本来Gopadattaの作品であったMaitrakanyaka(DA 38)が、第11話の位置に入っ ていたと想定される。現存の2写本のうちBJAM1はMaitrakanyakaの部分(第32〜 37葉)を欠いており、その部分が遊離してDAに移ったことを裏付ける。もう1本の写本BJAM2は葉が欠けたBJAM1を筆写してできたものである。
なお、ASSの写本についてはBendallカタログ pp.134-135に、またJMASの3写本についてはHahn(1980a) pp.145-6に詳しく<註9>、BJAMの2写本についてはHahn&Klaus(1983) p.28に詳しい<註10>。
こうして発見されたHaribha#t#taのJaatakamaalaaの11話の梵文のうち、第35話の%Saakyasi#mhaはHaribha#t#taの真作ではなく、(チベットで訳される以前になされていた)後代の付加であることがHahn(1977)によって<註11>指摘された。Haribha#t#taのJaatakamaalaaは、Aarya%suuraのものと同じく、34話から成る作品であったわけである。
Hahnは梵文テキストの出版を約束したが、これまでに梵文が発表された部分は、
2. Badaradviipa ‥‥ Hahn (1977, 改訂1992)<註11>
4. %Sa%sa ‥‥ Hahn (1977, 改訂1992)
5. Candraprabha ‥‥ Hahn (1977, 改訂1992)
6. Ruupyaavatii ‥‥ Hahn (1977, 改訂1992)
11. M#rga ‥‥ Hahn&Klaus(1983)<註12>
の5話である。2、4、5、6のテキストは本の付録として挙げられたもので、異読は付けられていない。11は異読の付けられた校訂梵文テキストのほか、独訳、校訂チベット文、ならびにグロッサリーが付されている。
将来HahnはHaribha#t#taのJaatakamaalaaの梵文で得られた11話の校訂テキストを出版する予定である<註13>。
では次に、梵文の存在する11話は太字で示し、残り23話の章名をチベット訳から補って、34話全部の章名をあげよう:
1. Rab-sna+n (Prabhaasa) プラバーサ王
2. Badaradviipa バダラドウヴィーパ
3. Chos-#hdod-pa (Dharmagavesin or Subhaa#sitagave#sin) 求法太子
4. %Sa%sa 兎
5. Candraprabha 月光王
6. Ruupyaavatii ルーピヤーヴァティー女
7. Tsho+n-dpon (%Sre#s#tin) 長者
8. Padma-can (Padmaka) パドマカ王
9. Tsha+n-pas byin (Brahmadatta) ブラフダッタ王
10. Phan-#hdod (Hitai#sin?) 衆生の幸福を求める者
11. M#rga 鹿
12. Mayuura 孔雀
13. Dra+n-sron (#R#si) 仙人
14. S+no-bsa+n (%Syaama) シュヤーマ
15. Dra+n-sro+n l+na ( %sipa%ncaka) 五仙人
16. Ka-%si mdses-pa (Kaa%sisundarii) カーシスンダリー王女
17. Dka#h-thub-pa (Taapasa or Yati?) 苦行者
18. Dga#h-ba#hi sdom cha+ns-can ナンダの持戒
19. Hastin 象
20. Candra チャンドラ王子
21. Dar-dara (Dardara) ダルダラ龍
22. Hari#nam#rga かもしか
23. Gser-gyi go-cha (Kanakavarma or Kaa%ncanasaara?) 黄金の鎧
24. Brtse-ba-can (Maitra?) 慈者
25. Mi-#ham-ci-mo da+n nor-bza+ns (Kinnarii-Sudhana) キンナリーとスダナ太子
26. Dra+n-sro+n #hbar-ba-can (#R#si-Ujjvala?) 焔仙人
27. Srid med(Vibhava?) 無有
28. Rka+n-rjes %ses-pa (Paadaj%na?) 足跡を知る人
29. Dpe-med-ma (Anupamaa?) 比類なき女
30. Me-lo+n-gi gdo+n-can (Aadar%samukha) 鏡面
31. Ded-dpon rab-#hgro (Saarthavaaha-Udaya) 貿易商ウダヤ
32. Si#mha 獅子
33. Brgya-byin (%Satakratu or %Sakra) 帝釈天
34. Khra-can (Citrin?) まだらのある者
以上に、Haribha#t#taの真作ではない35章が付け加えられる:
(35. %Saakyasi#mha) シャカ族の英雄 (ただしチベット訳ではDon kun grub ldan =Sarvaarthasiddha)
この35章は仏伝である。Hahn(1985c)によって<註14>、現在の梵本がチベット訳より2倍の大 きさに増広された姿になっていることに注意された。チベット訳に対応しているのは梵本の前半部分であり、後半部分が付加されたわけである。前半部分は馬鳴のBuddhacaritaをソースとしているが、後半部分はLalitavistaraをソースにしている。前半部分はGopadattaの作風に似ており、彼の作品かも知れないという。
Haribha#t#taのJaatakamaalaaの成立年代については、従来はチベット訳のなされた12世紀が下 限とされていたが、Hahn(1981b)によって<註15>、漢訳賢愚経 (大正 No.202) の編纂年たる西暦455年の数十年前まで、下限がおろされた。賢愚経は8人の中国僧がコータンにおいて採集した説話を編集したものであるが、Haribha#t#taのJaatakamaalaaをソースにしたらしい話がかなり 入っている。特に、Haribha#t#taのJaatakamaalaaの第1話Prabhaasaと賢愚経の第21話との類似は、依存関係を裏付ける。Haribha#t#taの作品が中央アジアまで伝わるのにかかった時間を計算に入れると、5世紀始めがHaribha#t#taのJaatakamaalaa成立の下限となる。また、チベット大 蔵経テンギュル部に見られるAarya%suura → Haribha#t#ta → Candragominという配列の順序は、Haribha#t#taが5世紀の中頃に活躍したCandragominより前の人であることを裏 書きする。
Haribha#t#taは西北インドに住み、その地方で栄えていた根本説一切有部伝承の説話を、部分的にソースとしてJaatakamaalaaに使ったことはHahn(1985b)が指摘している<註16>。しかし彼が特定の部派に所属していたかどうかは明らかではない。
Haribha#t#taはそのJaatakamaalaaの前置きとなる詩節で自ら述べているように、Aarya%suuraのJaatakamaalaaを手本として作品を作った。Hahn(1977)によると<註17>、Haribha#t#taのJaatakamaalaaの各話の作り方は、Aarya%suuraのJaatakamaalaaのそれに大変よく似ており、次の形式に従う:
1. モットー (Aaryaa調の詩節)
2. 導入の文章: tadyathaanu%sruuyate
3. 物語の冒頭 (散文): ‥‥(修飾する形容詞の複合語)
‥‥bodhisattva#h ‥‥babhuuva
物語の主要部分
4. 物語の結び (ふつう韻文)
5. しめくくりの道徳的結論 (散文): tad eva#m ‥‥ (iti)
Skt. MSS:
Avadaanasaarasamuccaya:
Bendall Add.1598 [= ASS]
Jaatakamaalaavadaanasuutra:
Matsunami 139 [= JMAS3], 138, 387; Sanada 608 [= JMAS1]; BSP t#r241(1-258) [= JMAS2]
Bodhisattvajaatakaavadaanamaalaa:
Durbar p.137(III.259c) [= NGMPP 96-11;= BJAM2];BSP t#r359(1-259), t#r259(2-115); NGMPP B 98-4 [= BJAM1], B 96-11 [= BJAM2]
Tib.:Toh 4152, Ota 5652, N(T)3643
Se+n-ge shabs-#hbri+n-pa造 Ala+nkadeva, Tshul-khrims #hbyu+n-gnas sbas-pa訳
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