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岡野潔『インド仏教文学研究史2:
仏伝 Sa+nghabhedavastu 研究史』

Sa+nghabhedavastu 破僧事

 Sa+nghabhedavastuは根本有部律の第17のヴァスツにあたり、僧伽の分裂を本来の主題とするが、後代の大規模な再編纂の結果として、内容の大部分が仏伝となっている。他の部派の律では、ふつう受戒けん度に仏伝が置かれるが、根本有部律においてはある時期に、仏伝が受戒健度から破僧健度に移されたと推定される。

 Sa+nghabhedavastuの仏伝はMahaavastuやLalitavistaraよりも新しい成立と思われる。Mahaavastuよりも仏伝として大きくなり、Lalitavistaraよりも新しい梵語で書かれている。

 Sa+nghabhedavastuの梵本写本は、ギルギットにおいて1931年6月に出土した根本有部律の大量の写本の中に含まれていた。この1931年出土のギルギット写本は、大きな部分がカシュミール州政府の保管下に置かれ、現在は「Delhi蒐集品」としてDelhiのNational Archives of Indiaにある。しかしSa+nghabhedavastuの写本はその中にわずか10葉しか含まれていない。

 この「Delhi蒐集品」に含まれていた写本は、Nalinaksha Duttによって主要な部分がギルギット叢書に校訂出版されたが<註1>、10葉のSa+nghabhedavastuのテキストは、そのVol. III, Pt. 4 (1950) pp.211-255 にある。また1954〜74年に「Delhi蒐集品」写本のファクシミリ版がLokesh Candraによって10分冊で出版された<註2>。N. Duttの利用したSa+nghabhedavastuの写本は、ファクシミリ版の第6冊目に入っている (1030-1050 面 = 513-523 葉)。

 カシュミール州政府の保管から漏れた、ギルギット写本の残りの大きな部分は、LahoreのCaptain Agah Mohammad Ali Shahの手に渡っていたが、Sa+nghabhedavastuの写本の大部分の葉は、この「Shah蒐集品」に含まれていた。G. Tucciは1956年に「Shah蒐集品」ギルギット写本の存在を偶然知り、持ち主と交渉して、パキスタン政府に買い戻した。Tucciの弟子のR. Gnoliは、この新たなギルギット写本の校訂をTucciから委託され、またT. Venkatacharyaの協力を得て、1977〜8年に2分冊でSa+nghabhedavastuの校訂テキストをローマから出版した<註3>。

 GnoliによるSa+nghabhedavastuのeditio princepsたる出版に対して、Hin%uber(1979) [Anhang IV] は<註4>、その校訂が信頼できないものであることを指摘した。Gnoliは本の扉にギルギット写本 の1葉の表裏の写真を付けているが、その写真をGnoliの校訂テキストとを照合してみる と、写本との多くの食い違いがテキストに指摘しうる。従って、Gnoliのテキストは写本 との照合なしでは学者の言語的研究での使用に堪えないと思われる。Gnoliの用いた全部 の写本のファクシミリが、早急に出版されることが望まれる。

 Gnoliは、N. DuttのテキストとL. Candraのファクシミリ版とによって知り得る「Delhi蒐集品」にあるSa+nghabhedavastuの写本を、彼の出版に利用した (Part II, 245ff.およびApp. IV)。しかしGnoliが校訂に利用しなかったSa+nghabhedavastuの断片が、ほかにも存在する。Hin%uber(1979)は、「Shah蒐集品」の中のいくつかの断片が、G. Tucciが入手する以前にプーナのBhandarkar Oriental Instituteに見本として送られ、その中で特に4つの断片がP. V. Bapatによって報告されていること、そしてその第1断片 (Plate Ia, b) が、Sa+nghabhedavastuのGnoliの利用していない第 512葉の左3分の1の断片であることを指摘した(p.334)。

 また松田和信(1990)は<註5>カトウマンドウのNational Archivesの古写本を調査して、Sa+nghabhedavastuの 貝葉写本1葉を発見した。これはGnoli本 II, p.68 以下とパラレルである。この写本はDivyaavadaanaadiprakiir#napatraa#niという写本セット (No.3-737 vi avadaana 6‥‥2 folios) の中にあったものである。

 Sa+nghabhedavastuの原典批判に役立つものに、中央アジアから出土した有部系の阿含経典がある。Sa+nghabhedavastuは根本有部に伝わる複数の阿含経典を部分的にそのままそっくり借用してパッチワークのように作られたかのようであり、中央アジアのCatu#spari#satsuutraやBimbasaarasuutraやMahaavadaanasuutraなどの経と、広い範囲にわたって逐字的によく一致する。それらの梵文の阿含経はWaldschmidtによってテキストが復元された。

 Waldschmidt(1951)は<註6>長阿含の1経Catu#spari#satsuutraの分析研究において、多くの 仏伝資料とCatu#spari#satsuutraの比較を行い、特に根本有部律Sa+nghabhedavastu(当時は漢訳とチベット訳しか参照できなかった)と文面がよく一致することに注目した。そして1952・1957・1962年の3巻のCatu#spari#satsuutraの復元テキストの出版において<註7>、彼はCatu#spari#satsuutraのテキストをSa+nghabhedavastuのチベット訳テキスト・漢訳の独訳と対照せしめた。彼は3巻目を準備中に、Tucciが得たSa+nghabhedavastuのギルギット写本の写真が入手できたため、第3巻巻末の付録において、Catu#spari#satsuutraのテキストを前巻発表の分まで遡って、Sa+nghabhedavastuの梵本の文面と照合している。

 中央アジアから出たBimbasaarasuutra (Turfan I, Kat.-Nr. 581) は、このCatu#spari#satsuutraと逐字的に一致し (CPS 27e.12 - f.25)、従ってSa+nghabhedavastuともテキストが一致する。Waldschmidt(1932)は<註8>このBimbasaarasuutraの梵文断片テキストを、2種の漢訳 (大正 26; 41) ならびにSa+nghabhedavastuの漢訳 (大正1450) の独訳と並べて、示した。

 またWaldschmidt(1953, 56)が<註9>復元した長阿含Mahaavadaanasuutraも、Catu#spari#satsuutraとは別に、Sa+nghabhedavastuと逐字的に一致する(MAS 4a〜8g = Sa+nghabhedavastu pp.41-52, 65-74)。Gnoli 刊本によって、Waldschmidtが復元できなかったMahaavadaanasuutraの欠損部分を補う作業が吹田隆道(1985)によって行われた<註10>。

 また、Sa+nghabhedavastuと部分的に文面が一致する東トルキスタン有部の阿含経断片として、Waldschmidt(1970)が発表した<註11>、パーリAgga%n%na-sutta(起世因本経)にあたる梵文断片がある。その断片はGnoli刊本pp.7-8と文面が一致する。

 この他にも、阿含経%Sraama#nyaphala-suutra(沙門果経)の断片 (Turfan V, Kat.-Nr. 1290, a) が、Gnoli刊本 pp.218-220 の部分と逐字的に一致している。梵本を漢訳やパーリ本と比較した研究として、MacQueen(1984)とMeisig(1987)の研究がある<註12>。松村(1989/90)の仕事も重要である<註13>。

 さて、Sa+nghabhedavastuの梵本の翻訳は未だなされていない。しかしCatu#spari#satsuutraはKloppenborg(1973)によって英訳された<註14>。またSa+nghabhedavastuのチベット訳の部分訳が、Feer(1983)のカンジュル抜粋集、Rockhill(1884)の仏伝、Schiefner(1882)の説話集によってなされた<註15>。

 Panglung(1981)は<註16>根本有部律に含まれている説話を網羅的に調べたが、Sa+nghabhedavastuに対しても40頁ほどを割いて (pp.84-125)、説話の梗概と研究を挙げている。

 Sa+nghabhedavastuの漢訳は破僧事のほかに、衆許摩訶帝経がある。衆許摩訶帝経はSa+nghabhedavastuの前半部分のみが中国で独立の仏伝として訳されたものであり、内容はSa+nghabhedavastuとよく合う。衆許摩訶帝経とSa+nghabhedavastuの同一に初めて気づいたのは『大谷甘殊爾勘同目録』(1930-32)であろう。

 なおSa+nghabhedavastuの仏伝の成立については丸山孝雄(1962)と佐々木閑(1985)の研究がある<註17>。

Tib.:Toh 1, Ota 1030, N(K) 4, C 1031, L 1, sTog 1

  Sarvaj%naadeva, Vidyaakaraprabha, Dharmaakara, dPal-gyi lhun-po 訳

  Vidyaakaraprabha, dPal-brtsegs 校訂

Ch.: 1450 根本説一切有部毘奈耶破僧事(20巻) 唐 義浄 訳

   191  仏説衆許摩訶帝経(13巻) 宋 法賢 訳

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