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3.%Saariputraprakara#na      (%Saaradvatiiputraprakara#na) 
シャーリプトラのプラカラナ劇

 L%uders(1911a)は<註1>ドイツのLe Coq 隊が中央アジアKucaa近くのQizilのMing-%oiで得た写本断片中に、仏教劇の1写本(K)があるのを発見し、研究を発表した。その写本は144もの大小の断片に割れているが、元は長さ54〜55センチ、幅4〜5センチの貝葉写本(talipot palm)であったと推測される。文字から判断すると、クシャーナ朝のKani#ska王からHuvi#ska王の時代(2世紀)にインドで筆写されたらしいが、さらに写本は中央アジアにもたらされた後、消えかかった部分を重ね書きで補筆修正するなどの、改訂を受けたようである。L%udersは小さな26個の断片を除く、118個の断片について原文の 転写を報告した。そのうち、No.1とNo.2の2断片は、登場人物としてDh#rti(堅固)、Kiirti(名声)、Buddhi(理性)などが出て会話する仏陀礼賛の寓話劇であり、その戯曲はNo.3から118までの断片とは別の作品として、区別された。No.3〜118の断片が属する劇では、主人公Somadatta、遊女Magadhavatii、道化Komudagandha、王子Dhaana#mjaya、仏弟子Maudgalyaayanaなどが登場し、便宜上、遊女劇と名付けられる<註2>。しかし、No.3〜118の断片には遊女劇のほかに%Saariputra-prakara#naという作品が入っていることが、後のL%uders(1911b)の研究によって判明した。

 L%uders(1911b)は<註3>、先の発表の後、同じ中央アジア写本の中から、K写本と内容的に関係する別の写本を発見し、より詳しくその戯曲作品について報告した。その別の写本(C)はやはりQizilのMing-%oiからもたらされた貝葉写本で、18個の断片があり、また先のK写本のNo.116の1断片も実はこのC写本の一部であったことがわかったので、全部で19断片と なる。これら19個の断片は3葉を形成する。元は長さ約40センチ、幅4センチの貝葉であったと推定され、古い写本を再利用した写本 (Palimpsest) であり、初期トルキスタン・ブラーフミー文字で書かれている。文字はK写本の改訂補筆に使われた中央アジアの文字に年代的に近い。クシャーナ末期かと思われる。

 このC写本には1戯曲しか含まれていない。コロフォンが残っており、%Saariputraprakara#ne navamo=+nka#h 9 aaryya-Suvar#n#naak#siputrasy=aaryy-Aa%svagho#sasya k#rti%s=%Saaradvatiiputrapprakara#na#m samaapta#m(シャーリプトラ・プラカラナにおける第9幕、聖スヴァルナークシー女の息子・聖アシュヴァゴーシャの作なり、シャーラドゥヴァティープトラ・プラカラナ終わる)と書かれている。これによって戯曲は、%Saariputra-prakara#naあるいは%Saaradvatiiputra-prakara#naという作品名であったことがわかる。恐らく後者%Saaradvatiiputra-prakara#naが正式の名であろう。%Saaradvatiiputraとは、%Saariputraの別名である。L%udersはこのC写本の戯曲の文面が、 先のK写本のいくつかの断片の文面と一致することを発見し、K写本の3〜118までの断片の或る部分が、%Saariputra-prakara#naであったことに気付いた。そのため先のK写本には、%Saariputra-prakara#naを含む、3種の仏教劇が入っていたと推測される。K写本の、%Saariputra-prakara#naの終結部が書かれている葉 (K IV) の背面には別の劇が始まっており、遊女が出てくるから、遊女劇は%Saariputra-prakara#naの後にあったものらしい。この劇にも%SaariputraとMaudgalyaayanaが登場している。これら遊女劇と寓話劇もやはり馬鳴の著作かと思われるが、証拠はない。仏教徒の著作であることは確実である。

 戯曲%Saariputra-prakara#naは、古典劇の一種、風俗喜劇(プラカラナ)で、全体が9幕から成り、%SaariputraとMaudgalyaayanaの2大弟子が仏教に改宗する挿話を主題にする。この改宗の挿話はMahaavagga等に見られる著名な話を翻案したものであろう。9幕の組み立ては写本が断片的であるため、ほとんどわからないが、%Saariputraは比丘A%svajitに遇って感銘を受け、友である道化 (viduu#saka) と仏の教えについて議論した後、Maudgalyaayanaを誘い、旧師の弟子たちと共に仏陀の許に行き、出家した後、%SaariputraとMaudgalyaayanaは教理について問答をし、仏陀が2人を祝福する、という筋であると推測される。中にBuddhacaritaと同一の詩句(第12章75)があり、この作品はBuddhacaritaの後に書かれたものと思われる。

 L%udersの研究の後、B. Bhattacharya(1957)は<註4>K写本の%Saariputra-prakara#naが終わ る葉(K IV)を再検討し、遊女劇がその後に続くとL%udersが見た部分は、%Saariputra-prakara#naの一部が誤写されたものであり、遊女劇・寓話劇の部分を含む全断片は%Saariputra-prakara#naであると主張した。Bhattacharyaが1976年に出した著作『アシュヴァゴーシャ』でも<註5>この仮説に基づき、%Saariputra-prakara#naを詳しく説明している。しかしこのBhattacharyaの意見については、de Jong(1979)が書評で「到底ありえない結論」と批判している。

 L%udersの発見した3種の戯曲について、日本では小林信彦が最近いくつかの論文を発表した<註6>。

Skt.MSS:

%Saariputraprakara#na : Turfan I, Kat.-Nrn.16, 57

遊女劇・寓話劇 : Turfan I, Kat.-Nr.16

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